芸人勝デ
個性の無い世界の現代お笑い芸人パロディ
元々コンビだった勝デが解散して五年後の話(デクはほとんど出てきません)
直接描写はありませんが、性行為をしている記述はあります。
『なんで本当に救けが来ねえんだよッ!』
俺は二十四時間営業のファストフード店の一角で不意に聞こえてきた声に動揺して、ホットコーヒーを危うくタブレット端末に溢すところだった。思いの外動画の音声が大きく焦ったのだろう、窓際のテーブル席に座る大学生風情の四人組が慌てて音量を下げたおかげでそれ以上の音声は店内に流れなかった。
「バカ! 音でけえって」
「テレビ直撮りしてる動画だから、途中で急に音でかくなるんだよ」
「めちゃ前の動画やなぁ」
「九年前? にアップロードされてる」
「テレビ番組主催の素人漫才大会の優勝者」
「高校生漫才師として一部でカルト的人気を博してたコンビ『ダイナマイト』知らない?」
「知らん」
多分見てるのは動画投稿サイトに何年も前に投稿された動画だろう。俺は被っていたキャップをさらに深く被り、テーブルに置いていた黒いマスクを付け直した。スマホには打ち合わせが始まる十分前を告げるアラームが表示され、俺は飲みきれなかったコーヒーとカップを捨てるべく動画を見ている大学生の側へ近づきゴミ箱の前に立った。
「高校生にしてはいいじゃん」
「ググった。えーっとなになに、ボケはオタクっぽいデク、ツッコミはヤンキーカツキのちょいズレど突き漫才……高校時代にテレビの素人勝ち上がり番組で五週連続勝ち抜き優勝した。高校卒業後は事務所所属でライブシーンを中心に活動」
「お、お笑いポ◯ロの画像みっけ」
俺は飲み残しを捨てる鈍いシルバーの受け皿に黒いコーヒーを流し込むと、底の見えない一点へあっという間に液体が吸い込まれ消えていった。ここから局までは歩いて向かって丁度十分くらいだ。どうせ前の仕事があるメインパーソナリティーの奴らは時間通りに来るわけない。少しくらい遅れたって構わないだろうと流し終えた後も緩慢な動きでゴミ捨て場の前に居座った。
「今何してんねん? コンテスト出てる?」
「えー……あ!」
「五年前、惜しまれつつも解散、だって」
俺は聞こえてくる声を背中にゴミ捨て場を後にする。「惜しまれつつ」なんてどこを見れば言えた言葉なのだろう。解散を告げる呟きだけがいつもの何倍も「いいね」がついて、今までライブにも来なかったような奴らが「寂しい」と言い出す茶番。
自分から解散を言い出したくせに、二人で炬燵に身を寄せながら一斉に自らのアカウントで呟いた後ヤツは泣いていた。なあ、出久。俺たちの何が悪かったのか、お前はわかってたのかよ。
始まりはただの代役だった。学祭の出し物で初めて出久とやった漫才は、元はと言えば切島とやるはずだったものだ。季節外れのインフルエンザで急遽来れなくなった切島に焦っている俺を体育館裏まで追いかけてきて、おずおずと言い出した出久を今でもよく覚えている。
『あの、僕、全部覚えてるよ』
『は?』
『かっちゃんたちの練習、見てたから。ノートに書き写して覚えてたから……』
んだそれキメエな、と俺はつい言葉に出してしまったが出久は堪えることなく目を潤ませながら俺の答えを待っていた。もうなるようになれと俺は結局出久の提案に乗り、ぶっつけ本番で臨んだ舞台は……言ってしまえば大成功だった。元の本を暗記していたという出久の言葉は本当だったが、切島向けに書いていたネタではやはり出久と合わないところがある。それもアドリブで難なくこなしてしまえるほど、俺と出久の息は悔しいが合っていた。
初めて舞台でウケた感覚が忘れられなかった俺は、出久と俺向けのネタもその日の夜つい書き上げてしまった。出久は意外や意外に、コント漫才でどんなキャラクターを与えても次の日にはセリフを覚え、説得力のある演技をしてきたし、喋くり漫才は大体のテーマさえ決めていれば長年の関係深さ故か、ピタリと間を合わせてきやがった。
コンビを組もうと言い出したのは結局俺からで、出久は「ほんと……?」とでっけえ目をくしゃくしゃに歪ませてブス顔になりながら喜んでいた。
高校三年の夏、正直俺は進路に迷っていた。俺も出久も頭が悪い方ではないから、お笑いを続けるにしても大学は行った方が今後のために良いのではないかと思っていた。だから、俺の部屋でネタ合わせをしていた時に出久が取り出したチラシも、まあ記念に参加してみるかという軽いノリだったのを覚えている。
当時お昼の帯番組で素人参加型の企画が流行っており、これもその延長線上のものだった。俺は初めて入るテレビ局に内心ドキドキしていたが、隣で出久が「き、緊張するね」とガッチガチに強張っていたから「ダセェ」となんでもないように装っていた。
結局勝ち抜き企画は俺たちの優勝で幕を閉じ、俺と出久はその場でとある事務所の勧誘を受け高校卒業後に所属することとなった。これが夏の間に俺たちの間に起こった大革命だ。大学も行かず芸人になるなんてお互いに親が許してくれるはずもなく、俺と出久は二人で住める安いアパートを探して着の身着のまま上京した。
昼間はバイト、夜はネタ作り。空いた時間でライブチケットのノルマをさばく。最初は先のテレビ番組の余波もあり、お笑い雑誌で「ニューフェイス」として小さく特集されたり、深夜番組にちょっとだけ出させてもらったりというおこぼれがあった。しかし一年も経てばそれらも無くなり、ノルマ制のライブチケットは余るばかりだった。出久はネタ作りをしない分ダブルワークをして家計を支えてくれていた。
その頃から俺は、いや俺らは衝突することが多くなった。元々出久と俺は幼稚園からの幼馴染だが、そのほとんどを気の合う友人同士でいたわけじゃない。逆にコンビを組んでいる状態こそがイレギュラーだったんだ。一緒に住んでいたのも、今思えば関係が悪化する原因だったように思う。
俺がネタを「書いてやってる」と思えば思うほど、出久が何もやっていないように思えてしょうがなかった。結果が出ていないのは全部俺のせいなんだろうと、心が荒んでいくにつれて書くネタも中身が出久と噛み合わなくなっていったのだ。
『かっちゃん、ここちょっと変えない?この表現より……』
『……うるせェよ。じゃあてめェはてめェで書いたネタを一人でやればいいだろ』
俺も出久も、この頃から限界が近かったのかもしれない。
満ち足りない生活をお互いの熱で埋めるように、いつからか体を重ねるようになった俺たちは喧嘩した日ほど激しく燃え上がった。俺が手酷く抱くと、出久は負けじと上に乗って喰らい付いて来た。まるでお互いに命を狙われているかのような情交だった。「少しでも僕以外のことを考えてみろ、殺してやる」と言われているような。いや、それは俺のいいように解釈しすぎだろうか。
とにかく最後はいやにあっさりとした決別だった。喧嘩別れの解散ですらない。いつものようにヤった後、炬燵で寝てしまおうかとウトウトしていた俺に出久は「かいさんする?」と小さく呟いた。
海産? 甲斐さん? ああ、解散かと俺が回らない頭で気づいた時に出久は暗がりの部屋で目を爛々と光らせてこちらを見ていた。
限界はなんでもない寒い冬の日に訪れた。この六畳一間の中だけだというのに、俺と出久しか世界にはいないかのように閉鎖した関係に終止符を打とうというのだ。出久は俺と、ただの幼馴染に戻ろうとしていた。
「なんや、この動画途中までやんけ」
深夜のファストフード店はそれでも客の出入りは多く、通路を塞ぐように立っている俺は邪魔になる前に退散するべきだろうと、肩にかけた生成りのトートバッグを担ぎ直す。大学生たちの盛り上がる声を横目に、空になった紙コップを勢いよく潰すと目の前のゴミ箱へ投げ入れた。自動ドアを潜れば都会のど真ん中にしては澄んだ夜中の空気を一息吸い込む。深夜なのに――いや、深夜だからこそ人通りの多い繁華街を抜けて俺は不夜城であるラジオ局へ急いだ。
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動画タイトル:ダイナマイトネタ(一部)
投稿者:den den.light 1.2万回視聴 9年前
ガタッ ゴトン
『ヒィッ……始まった!』
どうもー、ダイナマイトです。よろしくお願いします。
僕ら幼稚園からの幼馴染みなんですけど、僕たち昔っからヒーローものが大好き……いやあ、かっちゃん今日も機嫌悪いね。
んだコラやんのかてめェ。
あ、かっちゃんって言うのはこの目つき悪くて今時腰パンしてるヤンキーもどきのことなんですけど。
あ?てめェナメてンのか?「ピーーー!」すぞ!……おい、何俺の言葉に被せてんだよ!
かっちゃんが物騒な言葉言って高校退学処分にならないように僕がピー音つけてあげてるんじゃないか!
てめェの気遣いとかサブイボたつからやめろや!
かっちゃんみみっち……内申点人一倍気にしてるの僕知ってるから、つい救けてあげたくなっちゃって……
さりげなくみみっちいっつってンな……っつーか救けたいってなんだよ、ヒーロー気取りすんな。
ほらね、こんなに腰パンしてるのに根が優等生だからちゃんとテーマ戻そうとしてますよ。
ヒーローがなんだよ、言ってみろや。
困ってる人を救けつつ、敵を華麗に倒すヒーローってかっこいいじゃない。僕昔から大好きで、ここでそのかっこいいシーンやってみたいからかっちゃん敵役をやってくれないかな。
ぜってェ嫌だが話が進まねえからやったるわ。
僕は救けられる一般人やるから。
おい、肝心のヒーローどこ行った!
ふえええん! 救けてえええ!
始まったんか。
ふええええん! 救けてえええええ!
勝手に始まってんのか……ってうるせえよ!
ふええええええええ!
チッ……ハーッハッハッハ! この一体はこの悪の組織を束ねる「爆殺王」が壊滅させてやるぜ!
救けてええええ!
救けを呼んでも来ねえぜ? 思う存分泣き叫ぶがいい!
怖いよおおお!救けてええええ!
…………
ふえええええ!
なんで本当に救けが来ねえんだよッ!
ヒーローも人手不足なのかもね……
「なのかもね……」じゃねえんだよ!お前がヒーロー役もやりゃいいだろが!
なんでさっきまで一般人だったやつがヒーローになれるんだよ! コミックじゃあるまいし!
人手不足で来れねえ設定よりはいいだろォが!
これを機に僕らトリオになるしかない――
『あっ……やべ』
ブツン
コメント 4
@ofall_goat 8年前
高校生にしてはよくやってる
@shkura2929 7年前
ツッコミが生意気そう
@mogigrrrrp 5年前
解散記念カキコ
@user-shtd111 2年前
最後まで撮った動画ないんですか
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「バクゴーくん! 今度後輩のライブに作家で加わるんだって?」
三十分後に始まる生放送に向けた打ち合わせは、いつも通り簡単に済ませて終わった。喫煙室に消えていったパーソナリティーを見送った俺に声をかけてきたのは曜日としては明日のパーソナリティーを務める鷹見啓悟だった。俺は『ダイナマイト』時代をよく知るこの人がことあるごとにちょっかいかけてくるのが少し煩わしくもあり、実のところ嬉しくもあった。俺が俺個人として認識されることが多くなる度に、出久と俺の二人だった『ダイナマイト』は消えていく。モラトリアム期間を懐かしむような少しの寂しさを思い出すと、俺は熱いコーヒーでその思いごと飲み込んでいた。認めたくはないが、人はそれを未練と呼ぶのだろうか。
「鷹見さん」
「今はホークスだって」
「出番、明日っスよね」
「さっきエンデヴァーさんの番組ゲストに呼んでもらってたんだよね」
エンデヴァーこと轟炎司は落語界の有名人で、長年テレビやラジオに出ている大御所だ。何を血迷ったか数年前に横文字の「エンデヴァー」に改名したのも記憶に新しい。そういえば目の前の鷹見こそ同じ頃「ホークス」とかいう横文字に改名していた。当時は何故と思うばかりだったが、ここに来て理由がわかったかもしれない。
「君がネタ書いてあげた後輩ばっか売れてくね」
「俺は構成だけなんで」
「いや、優勝したあのネタ、ほとんど君が考えたって聞いたけど?」
ニヤついて言う鷹見に俺が何も言わないのをいいことに「そういえば」と鷹見はさらに続けた。
「そろそろ新しくコンビ組んだらどうよ」
「今更っスよ」
「俺の事務所に相方探してる子がいるんだけど……」
「いや、もう組むつもりないんで」
俺は「話は終いだ」と言うように時計をチラリと見て荷物を片付け始めた。「もったいないなあ」と鷹見は胡散臭い笑顔を浮かべて、俺がミーティングルームの電気を消すと廊下に出る手前でまた口を開いた。
「そんなに緑谷くんが良かった?」
ほら、こうやって意地の悪い顔をして後輩をいたぶるんだこの人は。俺は自分でも止められず目の前の人を睨みつける。先輩だとかそんなの関係ない。その名を俺の前で出すことを許せなかった。
「おー怖い顔」
「何が言いたいんスか」
「いや、キミ知ってたかなと思って。その様子じゃ知らなそうだ」
そう言って鷹見は手元のスマートフォンを俺に向けて見せた。暗いミーティングルームの中でスマートフォンの画面が煌々と輝き俺の目を焼いた。見せられたのは、いわゆる地下芸人が集まる小さなライブハウスのビラを撮った写真だ。どうやらSNSのアカウントで呟かれた画像らしいそれの出演者に、俺の目は釘付けになった。
『路地裏トリオ(ショート・デク・テンヤ)』
出久が解散後にピン芸人として活動していたのは知っていた。何回かライブも見にいってみたが何度行ってもスベリ倒していたし、その独特の世界観に誰からもコンビを組もうと誘われている様子がなかった。
「このショートって子、エンデヴァーさんの息子らしいよ」
「…………」
「今は単なるユニットらしいけど、上手く軌道に乗れば正式にトリオとして活動するとか」
さっき電気を消しておいたおかげで、俺の顔は廊下からの逆光で鷹見には見えていないはずだ。胸の内から湧き上がる吐き気も相まって、体がやけに冷たかった。特に膝から下なんて氷水に浸かっているように寒く感じた。
「良かったンじゃないスか? 俺ばっか成功してるのも心苦しかったんで」
「……心にもないことを」
「そんなこと――」
「ハガキ職人やってる緑谷くんのメール、作家やってたら一番に見れるから、嬉しかったんでしょ」
だからずっとここに居るんだろ?
鷹見が言い当てたその言葉に俺は顔を歪める。そういえばこの人は夜目が利くと以前言っていたな、と俺は思い出して今更ながら手に持っていたマスクをつけた。もうそろそろ本番が始まるため、こんなところで長居するわけにはいかなかった。
俺は引き留める鷹見の声を振り切り、暗いミーティングルームを後にする。何か言いたそうな鷹見の視線が、俺の背中に痛いほど突き刺さっていた。「諦めんの?」と言われているかのようなその視線に、答えられる言葉が俺にはまだ無かった。
今日もきっとラジオネーム『炬燵で寝るな』からメールが届くのだろう。決して毎度読まれるわけじゃない稚拙なメールだ。それでも、無機質なゴシック体で数行書かれたメールを印刷しただけのA4一枚の紙切れが、俺とあいつを繋ぐ唯一のモノのような気がして、そう、愛おしかったのだ。
俺はスケジュール帳を取り出して先程のライブ日程を確認し、日付に赤い丸をつけた。その日はきっと路地裏トリオのユニット解散日になるだろう。同時に『ダイナマイト』の再結成日になるのだと、俺は強い思いを込めて赤い丸でさらにソコを囲んだ。
二重丸は決戦の合図なり