強欲なヒーローたち(後編)

「強欲なヒーローたち(前編)」の続きです。
かっちゃん視点。

 

 

 

 出久の進学した地方都市は春がほとんど無い。そんな中一瞬でいなくなった桜前線を捕まえるため、山一つ越えた城下町の桜を見にドライブに出かけたのはついこの間のことだ。俺は出勤前にドアの前で靴紐を結び立ち上がると、ドライブ時に隠し撮りした出久が微笑む横顔を一撫でした。「行ってくる」なんて柄にもなく声をかけてここ最近は出かけているのだ。
 いつものルーティーンをした後「はて、何かを忘れているような」と一拍思案した時、ニュースサイトの見出しを告げる通知がスマホから鳴った。
 “ヒーロービルボードチャートJP上半期!本日発表!“
 通知を見た俺は「一緒に見ようね」と言っていた先週の出久を思い出し、慌てて目の前の写真を隠す術を探した。ボディバッグの中から今日支払うはずだった水道料金のハガキを見つけ、マグネットで貼り付け写真を隠す。ひとまずこれで良いだろう。本当は今日支払いしてしまいたかったが仕方ねえ。
 この時の俺は、その日の夜出久から告げられる嫌な知らせを知るはずもなく、呑気に出久と食べる夕飯のことを考えていた。

 夏が近づく蒸し暑い日、この日以来出久とは会っていない。俺が出久から留学のことを聞かされた次の日、出久は朝早く俺の独身寮を出て行った。起き抜けの頭で「いずく」と呼んでみた。返ってくるのは冷蔵庫が定期的に鳴らす不快な機械音だけだった。しんと静まり返った六畳間に置かれた小さなテーブルの下に、A4の紙切れが一枚取り残されているのを俺は発見した。忘れられていたのは出久のエントリーシートで、俺は拾い上げて中身を見てみると「あなたの強み」という項目が空欄で残っていた。

 

 

 約二週間お互いに音信不通だった俺のもとへ届いた、久しぶりの出久からのメッセージを見たのは、仕事終わりの帰路だった。「今から来れませんか」と出久にしては性急なメッセージと場所をピン留めしたマップ。よくわからねェが、俺は「了解」とだけ打って返信を送った。場所をタップして開き呼び出された場所を確認すると、やっとこの街に出店してきた高校生御用達の安価なイタリアンチェーン店だった。出久がメッセージやら文章を書く時だけ敬語になるのがいつも内心おかしく思っていた俺は、やっぱり変なヤツだと二週間ぶりにあいつのことを考えて笑った。

 閉店まできっかり一時間、人もまばらな店内に俺が入店したことを告げるチャイムの音は異常にデカかった。その音に気付いたのだろう、窓際の奥から三番目のボックス席に居た出久を見つけるのは容易かった。向こうも入店音と共に顔を上げて俺を見つけると、飼い主を見つけた柴犬の如く手を大きく振っていた。受付の奥から店員が来たが「連れがいるんで」と声を上げた俺と手を振る出久を交互に見ると、そのまま席まで案内もせず「ごゆっくり」と言って下がっていった。

「急にどうした」

 俺がそう言って席に腰を下ろすと、出久はメニューと共に注文用紙とペンを渡してきた。俺はパラパラとメニューを見ていくつか記入しそのままメニューを出久へと戻す。ついでに注文用紙も渡せば出久は曖昧な笑みを浮かべてそれを受け取った。

「お前はどうする」
「……」
「呼び出しといてダンマリかよ」
「…………」

 出久は俺が舌打ちするのと同時にスマホの画面を見せてきた。出久の黒いレザーのスマホケースはだいぶ傷んでおり、俺は来月に迫るコイツの誕プレ候補として脳内のメモに刻んでおいた。

『諸事情があって声が出ません』

 出久のスマホ画面には無機質なゴシック体でそれだけ書かれていて、俺は「ハァ!?」と食ってかかれば、目の前の出久は気まずそうに目を逸らして頬のそばかすを掻いていた。

「体悪りぃんか」
「……」

 俺が問えば出久は首を左右に何度か振り、スマホの画面に何やら入力している。俺はひとまず病気ではないことに安堵した。

『さっきお店の入り口でちょっと人にぶつかっちゃって』
「誰かの個性か」
『一時的に対象の声を消す個性「ミュート」だって。すごいよね、効果は一時間くらいらしいよ』
「すごいよね、じゃねえんだよ! 被害あったなら警察かヒーローにまずは報告しろよ。害無い奴かわかんねぇんだぞ」
『何かあった場合の連絡先も交換した、身分証も見せてもらったよ。それに、相手の方の様子から大丈夫だとおも――』
「それを判断するのはお前じゃねえ」

 出久がフリック入力する手元を見ながら文章を予測していた俺は、画面を見せられる前に厳しい口調で咎めた。危機感知も無くなった出久が何かの敵意を見分ける術なんて、ヒーローとして学んでいたたった一年間の経験だけだ。こういう時はヒーローか警察に頼るべきだし、今後のためにもそうしてもらうべきだと俺は思った。
 俺の声にスマホから顔を上げた出久はハッと息を呑むと、口をぱくぱくさせて頭を下げた。さながら童話の人魚姫だ。きっと「ごめんなさい」と言ったのだろう、いつもかっちゃんかっちゃんうるさいあの声が聞こえないだけで俺の首筋はひんやりとした冷気を感じた。仕事帰りに待ち合わせ場所へ急いだ汗が冷えたのだと思い直し、俺は辛気臭い顔をさせる出久にペンを手渡して「んで」と声をかけた。

「何にする」
「……」

 出久はメニューを開くことなくペンを走らせていた。俺を待っている間に決めていたのだろう、いくつかのメニューコードを書き入れると、店員の呼び出しボタンを押して注文用紙を手渡す。店員の復唱を聞いていると俺が海老のサラダやエスカルゴなんかを頼んだのに比べ、出久はがっつりドリアとピザに加えチキンも頼んでいた。夜中にどんだけ食う気だ。
 程なくして白のハウスワインがデカンタで席に運ばれてくると、出久は俺のグラスに注いで自分のグラスにも手酌していた。お前、酒飲むのにあんだけ飯も食うんか、と思わなくもなかったが結局それは言わないでおいた。軽い音をさせて安いハウスワインで乾杯する。久しぶりの逢瀬に? お前の留学決定祝いに? 俺の逡巡を知らない出久は条件反射のようにグラスを傾け俺のそれに軽くぶつけた。ワインの味なんてわからない俺たち二人だが、「可もなく不可もない」と出久も思ったに違いなかった。

「更新のことなら、もう決めてんぞ俺は」

 先日の出久の留学発言から避けられているのはわかっていた。というより、お互いに避けていたが正しいか。俺がぐいっと白ワインを飲み干しグラスを空にすると、デカンタの残りを全て注いだ。出久は大きめの口を引き結ぶとスマホに入力した画面をまたこちら側に手渡した。

『君に君の夢を諦めてほしくないんだ』

 出久の声で言われなかったのが、あえて良かったかもしれない。そうでなければ俺は今すぐ目の前のグラスを叩き割ってしまっただろうと思った。お前が俺の何を知っているんだ――いや、お前にだけはわかってほしかった。なあ、わかれよ、お前だけは。

「クソじゃねえか……諦めんなだと? 俺は何も諦めちゃいねえ」
「……」
「諦めたのはお前だろ」

 個性が無いからヒーローになれない――俺が何度も馬鹿にしたあの言葉。今思えば、世間にそう思わせたかった俺の「弱さ」が生み出した出久への言葉だ。それでも食らいついてきたのがてめェだっただろうが。個性なんか無くたって誰よりもヒーローであろうとするその姿が怖しかった。勝てねえとすら思ったそいつを、越えようとしていた矢先に隣を歩かなくなるとわかった俺の恐怖がわかるか。
 あんなにヒーローを諦めさせたがった俺が、お前が普通科に行くっつったあの日、お前に「諦めんな」って泣いて縋りたくなったあの気持ちがわかるかよ。

 俺と出久が押し黙るタイミングで料理が一通り運ばれてくると、店員は注文伝票をアクリルの筒に丸め込んで置いていった。俺は出久の前に置かれた、見事に茶色系しかない三つの皿に一つため息を吐いた。出久は料理に口をつけるでもなく注文用紙をもう一枚取り出すと、手に握ったままだったペンでさらに書き込んでいた。この期に及んで注文をしようというのか、呆れた俺はエスカルゴを一つ口に含み白ワインでそれを流した。
 出久は書き入れた注文用紙を俺の方へ渡し、それを見ろとジェスチャーしていた。俺は追加注文しなくて良いと押し返せば、出久は俺の手を無理やり引っ張り力強く用紙を握らせられた。
 くしゃくしゃになった注文用紙を開けば、品名と数量を書き入れる横罫線に一文ずつ書かれたそれを見て俺は徐々に目を見開くことになった。

 〜かっちゃんにしてほしいこと〜
 1 僕が大学卒業するまでこの街のヒーローでいてほしい
 2 留学する僕と一緒に来てほしい
 3 ヒーロービルボードチャートJPのトップテン入りをしてほしい
 4 いや、トップスリー入りしてほしい
 5 あわよくば、ナンバーワンヒーローになってほしい
 6 サイドキックをいっぱい雇う大きいヒーロー事務所の所長になってほしい
 7 事務所名はバクゴーヒーロー事務所にしてほしい
 8 その全部を僕に隣で見せてほしい

 書かれていたのは俺にしてほしい無理難題のオンパレードで、目の前の冴えないナードは人魚姫だけじゃなくかぐや姫でもあったらしい。これを全て叶えてくれる人と結婚しますってか。確か全員叶えられなくて結局月に戻ってしまうんだろう。なんて、強欲で傲慢なお姫様だ。読み終えた俺が軽く吹き出して笑うと、出久は俯いていた顔をおずおずと上げて俺を上目で窺っている。テーブルの上を茶色い皿で埋めつくす出久は、人魚姫でもかぐや姫でもなく確かに田舎の男子大学生だった。それでも、俺の胸は高揚を抑えきれなかった。

「お前がどんな進路を選んでも、更新する。あと二年はここで派遣ヒーローをする」
「……」
「これがあの日、お前に言いたかったことだ」

 俺の言葉に出久は目を見開くと、途端にじわりと目尻に涙を滲ませた。声を聞かなくてもわかる。「ごめんね」と出久は何度も言っていた。そうだ、お前は勝手に俺を推し量って「やりたくない事をしている」と思っていたんだろう。出久がきっかけだったとして、この地でしか出来ないヒーローとしての在り方に「やりたくない事」だったモノなんてひとつもないのだ。

「二年経ったら、海外を拠点にするのも悪くねェ。……そうだな、場所は南半球か」
「……」
「地方も海外も経験した俺が日本に戻りゃあ、完膚なきまでの一位を掻っ攫っちまうだろうなァ……」
「……っ」
「同時に事務所を立ち上げたるわ。一位の事務所にサイドキックで入りてェヤツがそこら中から手を挙げるだろうよ」

 「事務所名はそん時、お前が決めろ」と俺は言って出久に注文用紙を返した。さあ、お前がして欲しいこと全部やってやるよ。お前が無理だって言ってきやがっても関係ねえ。俺の隣を歩くことをお前が諦めない限り、俺は月まで先回りして言ってやる「随分遅かったじゃねえか」ってな。
 出久は注文用紙のシワを一生懸命伸ばしてペンを握り、泣きながら笑って何かを書いている。もはや冷め切ったピザを俺は一切れもらって口へ運ぶと、不細工な面をさせた出久と目が合った。書き終えたのか、俺の方へ泣きべそかきながら見せてきた注文用紙には上から個数が付け足されていた。「1」が続くその一番下に「8」を横倒しにしたマークが書かれていた。俺はあの日見つけた空欄のままになっていた出久のエントリーシートを思い出し、首を傾げて考える。よし、「欲深いところ」と帰ったら俺が書いてやろうじゃねえか。俺はピザを流し込むように白ワインを呷ると、ペンを引ったくり五番目の横にある「1」を二重線で消して同じマークを書き足してやった。
 「ナンバーワンになるのが一回だけなわけねえだろ」と言ってペンを投げ返すと、出久は「そりゃそうだ」と言って笑った。久しぶりに聞いた出久の声は掠れていて随分小さかったが、閉店間際の静かな店内で俺の耳に届いたソレは大層嬉しそうだった。

 

 

 

 強欲なヒーローたち