今月中に必ず一回は有給休暇を使いましょう

プロヒ勝×無個性に戻った大学生デ

別人のようにかっちゃんとデクがファミレスで駄弁ってるだけです。
本文に出てくる都市、店は実在しません。
途中の東京楽しい?のクダリは某芸人さんの某コントより。

 

 

 

 

 

 

 

 東京から新幹線で二時間弱、そこから在来線に乗り継いでさらに一時間半揺られて俺が降り立った街は、どこにでもある地方の第三都市だった。
 改札を抜けた先に鎮座するご当地キャラのモニュメントもどこか垢抜けていない仕上がりで、季節ごとに着たくもない衣装を着せられているソレの衣装が、見覚えのあるアロハシャツだと思った俺は、ついにこの街に来るのも季節が一周したのだと気づかされて軽い舌打ちが鳴った。
 駅前のロータリーに出ると、バスプールにタクシープール、それと申し訳程度の駅ビルがお出迎えする。居酒屋とファミレスが数件入っている駅前のビルは四階以上の窓ガラスに痛々しいほど大きく「テナント募集」の文字が貼られていた。
 俺が最後に来た時は確か四階にカラオケが入っていたはずだが、どうやら潰れたらしい。
 土曜日の昼間だからか、俺のようにわらわらと駅前に人の姿はあったが、それも電車が到着した数分のことで、降り立った人々はそれぞれ迎えの自家用車や乗り継ぎのバスに乗り、ついぞ俺一人が取り残されていた。
 タクシーの運転手は暇そうにボンネットの横で缶コーヒーを飲んでいて、暑い中待ちぼうける気が失せた俺もどこかで涼もうとした矢先、その声は聞こえた。

「かっちゃん! ごめん遅れた」
「テメェ、昨日到着時間送っといただろうが」

 俺が恨みがましくキャップとマスクの隙間から遅れやがった目の前のクソナードを睨みつけると、ごめんごめんと言いながら全く反省した感じも見せず歩き出した。

「かっちゃんなんか食べてきた?駅弁とか?食べてなかったらまずはご飯食べよう。あ、マスクとか暑くない?外せば?今日こっち三十度超えるらしいよ。もう超えてるかな?大丈夫大丈夫、こっちでかっちゃんの素顔指差す人いないって」
「うるっせえ。ちったあ会話をしろ。てめえ大学でもそんなんで友達いんのかよ」
「う、ご、ごめん。久しぶりにかっちゃんと話するの嬉しくて……」

 えへへと笑う出久は頬をぽりぽりと掻いて赤信号の横断歩道で立ち止まった。出久の横に並んだ俺は、その横顔に数ヶ月前同じ交差点で並んだ出久を思い出した。
 前に会ったときよりも髪が伸びていて、襟足で小さく括られたソレがぴょこぴょこと揺れるさまを見て尻尾のようだと思った俺は、ソレを指先で軽く引っ張った。

「いっだ……っ!」
「伸びすぎじゃねえの、髪。暑っ苦しい」
「じゃあ口で言ってよ!痛い……」
「口で言っただろ、いま」
「先に言えって言ってんだよ!」

 もう~確かに最近髪切りに行けてないから来週あたり予約しないとな……
 お得意のブツブツが始まりそうだったのを瞬時に察知した俺は、信号が青に変わるや否や出久を置いて横断歩道を渡る。

「あ!待ってよかっちゃん!」

 勝手知ったる様子で駅から一番近いファミレスに向かう俺は、背中にかかる声に知らずのうちに口角を上げていた。

 

「いやあ、涼しいね」
「っつうか外が暑すぎんだよ」
「はあ~生き返る。かっちゃん今日は何にする?」

 お昼時を微妙に外した時間帯の店内は、俺たちを含めて数組の客しか居なかった。グランドメニューを俺のほうに寄越して自分は期間限定メニューを見比べている出久は、そのうちのラミネート加工された一つで首元を仰いでいる。

「僕、冷しゃぶおろしうどんにしようかな……いやでも夏野菜カレーとハンバーグもいいよな、あ、麻婆茄子丼も美味しそう! ピリ辛ってどのくらい辛いのかな」

 ブツブツと独り言を言う出久に軽く鳥肌を立てながら、俺はグランドメニューを開く。困ったときに入ればどんな人の好みにも合うと言わんばかりに、和洋中節操無く揃っているメニューを見て、俺は自分の腹と相談を始めた。おい腹よ、お前は今どんな気分だよ?

「おい、そっち見せろ」
「え、あ、ごめん。はい」

 唇を指で摘まんだままブツブツを繰り返していた目の前のクソナードに、グランドメニューを押し返しながら声をかけると、慌てて俺に期間限定メニューを渡してきた。おい腹、決まったか?何?麻婆?我が腹ながら保守的だな、とここまでものの数十秒だが、どうやら俺の腹は覚悟を決めたようだ。
 ちらりと前に目を向け、まだ何を頼むか決まっていない様子の出久に、俺は呼出ベルを鳴らした。

“ピンポーン”

「あ! かっちゃん僕まだ決まってない!」
「うるせェ。切羽詰まったら決まるだろ」
「横暴!」

 バックヤードでお喋りをしていただろう年配のパートが「お決まりですか」とすぐにやってくると、俺は先に注文を始めた。

「麻婆茄子丼大盛りと、蒸し鶏の棒棒鶏サラダ、ドリンクバー」

 俺が流れるように注文すれば、出久は焦った様子でメニューをめくる。さりげなく俺が期間限定メニューを出久側に見えるようにテーブルに広げると、出久はグランドメニューを閉じてテーブルを指差した。

「夏野菜カレーのハンバーグのせ、大盛り、で」
「ドリンクバーはどうしますか?」
「あ、ドリンクバーも、はい」

 注文を繰り返した店員が去ると、俺と出久は無言で交互にドリンクバーへと向かう。俺と入れ替わりで帰ってきた出久のコップには毒々しい人工的な緑色の液体が入っていた。

「迷ったけど結局メロンソーダにしちゃった」

 今日暑いからさあ、と言い訳のように言いながら出久は俺のコップを見て「かっちゃんはさすが、ウーロン茶か」と何がさすがだかわからない事を言っていた。こいつ、俺のことはなんでも「さすが」と言っておけばいいと思ってんじゃねえのか。

「そういえば、この間は大活躍だったね。見たよ、ニュース」
「ああ、銀行にヴィランが押し入ったやつか」
「うん、立て籠り事件としては異例の速さで解決したって報道されてたね」

 出久が言った事件は一ヶ月ほど前の小規模ヴィラン集団による銀行襲撃事件で、俺も機を伺って突入する役割として配置されていた。別にニュースで俺の名前は出ていたわけではないが、映像では俺の爆破による火花がよく映っていた。クソナードはクソナードらしく、その火花で俺だと気づいたと鼻息荒く熱弁していた。キメェ、距離を取れ。

「あの事件は、洗脳野郎の活躍が大きかっただろ」

 それこそ、報道されねえだろうがな。

 俺がそうボソッと零すと、出久はコップによる水滴のついたテーブルを紙ナプキンで几帳面に拭きながらなんでもないことのように言った。

「うん、心操くんはアングラヒーローとしてどんどん活躍するだろうね」

 出久の歪んだ手がキュッキュッとテーブルを拭く動作を見ながら、俺はあの日を思い出していた。出久が雄英高校ヒーロー科を去ることに、いや、「俺の後ろ」から居なくなったあの日だ。

 

 

「緑谷は明日から普通科に編入することになった」

 担任の相澤がいつものテンポで朝のホームルームを始め、さあこれから一時限目が始まるぞという時だった。「そういえば」という頭言葉からは想像も出来ない言葉に、教室中が静寂に包まれた。俺はぐるりと後ろの席を見れば、気まずそうに笑いながら出久が頬を搔いていて、俺はそれを見て久しぶりに頭に血が上るのを感じた。プッツンってやつだ。

「なに笑ってやがる」
「え?」

 頭に血が上って怒鳴るということはあったが、あそこまで冷ややかな声が出たのは初めてだった。出久は俺がなんと言ったのか聞こえなかったのか、目を瞬かせただけだった。それが更に俺の感情を逆撫でして、今度こそ怒鳴ってしまうと大きく口を開けるとそれ以上に大きい声が教室の静寂を切り裂いた。

「先生!どういうことですか!?」

 こんな時でも委員長の飯田は礼儀正しく挙手をして相澤に問いかけていて、相澤は出久に「どうするんだ」という目で訴えると、出久はまたも薄っすらと笑みを浮かべてそろりと立ち上がって黒板に向かう。俺の机の横をすり抜けた出久と、目線は合わなかった。

「あの、えっと、オールフォーワンとの、いや、あの『戦争』は、本当に言葉にできない犠牲をたくさん、たくさん……」

 先の大戦のことは言葉にすることは憚られるほど、世界中に大きな傷跡を残した。それは全員が知るところで、出久が言葉を詰まらせるのも無理はなかった。さらに言うと、だからこそ、やっと留め置かれていた進級を果たした俺たちは、やっと「ヒーローアカデミア」の生徒として日常を取り戻していくと信じていた。

「緑谷」

 静かな声が教室の後方からかけられて、出久はまっすぐ前を見た。そこには轟が戸惑いと、少しの怒りでもって出久に目で「そうじゃねえだろ」と問いかけていた。

「っ……実は、オールフォーワンとの戦いが終わってから、僕の中のワンフォーオールの力が日に日に弱っていくのを感じていた。本当に徐々に、徐々にだった。でも僕は思った。ああ、役目を終えたんだ。この呪いの力は打ち勝って、その役目を終えたんだって。そう思った」

 歪な出久の手がぎゅっと握りしめられ、制服のズボンの横で震えていた。俺はそれを見て目の前が赤く染まるような気がした。

――『かっちゃん、個性かっこいいもんなあ!』
――『ぼくもはやく個性でないかなあ』

「無個性に戻るから、ヒーロー目指すのやめるってことかよ」

 俺の言葉は思ったより大きくなかったが、静まり返った教室で出久にはちゃんと届いていたようで、人より大きいあいつの目が俺を捉えた。震える拳を見ていた俺は、どうせまた泣きそうな顔をしていると思ったが、予想に反してあいつの目はこんな時に涙目にもなっていなかった。

「そうだよ、無個性はヒーローになれない。僕はそう思うから、普通科に行く」

――『無個性のてめェが、なんで俺と同じ土俵に立てるんだ!?』

 出久の言葉は有無を言わせぬ力強さを持っていて、クラスの誰もがそれを否定出来なかった。相澤は出久を席に戻すと、明日から心操がトレードする形でA組に編入するという事務連絡を言って教室から出て行った。

「緑谷!マジかよお前……」
「はは、峰田くんそんな大袈裟にしないでよ。雄英にはいるんだから、そんな悲愴な顔しないで」
「う、それもそうだよな、なあ緑谷あ~普通科行ったら女子紹介してくれよ~」

 ある意味通常運転の峰田にクラス内の雰囲気が少し軽くなり、全員が出久の席までやってくると、一時限目の授業が始まるまで思い思いに出久を問い詰めて、それでも出久はそれぞれに「大丈夫」と言い宥めていた。

 ああ本当は、あの時泣きたかったのは俺だった。

 

 あの日の放課後出久が、最後のお世話と言わんばかりに雑巾で綺麗に机を拭く歪な手と目の前のテーブルを拭く手があまりにも同じで、俺はストローに口をつけながらボーっと見ていると頼んだ料理が運ばれてきた。

「蒸し鶏の棒棒鶏サラダをご注文のお客様」
「はい」

 俺が軽く手を挙げれば、麻婆茄子丼も続けて目の前に置かれる。出久の目の前には、スパイシーな匂いをさせたカレーが、色とりどりの夏野菜をトッピングさせて鎮座した。お互いに手を合わせて「いただきます」と揃えて口にすると、まずは食うぞと言わんばかりに無言で食らいついた。

「かっひゃん」
「なんだよ」
「麻婆茄子丼辛い?」
「普通」

 自分から聞いておいて出久は「ふうん」と一言こぼし、また目の前のカレーに夢中だ。俺は「一口食うか」と言いかけてやめた。てめェが一言「一口ちょうだい」と言えばやらんでもなかったが、言わねえなら俺もやらねえ、と意地になって先に麻婆茄子丼を空にしてやった。

 食い終わってまた交互にドリンクバーに向かう。今度は俺が後になって帰ってくると、俺の手元のコップに目をやった出久がまた「さすがかっちゃん」と言ってきた。俺の手元には茶色い液体が入っていたが、今度はアイスティーだった。

「アイスティーだ」
「いや、ドリンクバーでお茶っていう選択肢が『さすが』って感じ」
「ンだそれ」
「だって折角ドリンクバーだし」

 出久の手元のコップには、今度は真っ白な液体の乳酸菌飲料が入っている。

「糖分ばっか取ってデブるぞ」
「……うっ……確かに最近研究室籠りで運動出来てない……」
「へっ! てめェのとこの先輩方はヒョロガリかデブばっかだろ。てめェもそうなんぞ」
「先月まではちゃんと走ってたんだよ、ホントだよ……」

 先週まで修羅場だったんだよお、とテーブルに項垂れる出久の肩は高校時代より少し華奢になったような気がした。

「っていうか、かっちゃん先輩の顔見たことあったっけ?」
「ん」

 俺は手元のスマホを出久の前にずいと押し出すと、そこには某世界的なSNSツールの青いアイコンに出久の通う大学の研究室のアカウントが表示されていた。『学内研究発表会』とタイトル付けされた写真には、白衣を着た出久の周りに数人の同じような白衣の若者が写っている。

「あ、この間のやつだ。え、かっちゃん『いいね』してる」
「しちゃワリぃのかよ」
「いや、なんか恥ずかしいなと思って……」

 少し頬を赤らめた出久が俺のほうにスマホを戻すと、手持無沙汰になったのか自分も鞄の中からスマホを出してテーブルに置いた。画面を裏返して置いたスマホのカバーは、高校時代のオールマイトのカラフルなものから黒いシックなレザー調のものに変わっていた。

「てめェがこんな辺鄙なところに大学を決めた理由になった『研究』っつうのがどんなもんか気になっただけだ」

 高校三年の冬に出久が急に進路先に決めた大学の場所は、行ったこともないような県の、しかも県庁所在地でもない地方都市だった。
 俺が「なんで」と言えばI・アイランドの個性研究のなんちゃらという学者が共同で研究している国内唯一の大学だとかなんとか、いつものナード節全開で語られた。半分も覚えていないが、国立大学の存続のためにも、地方に専門的な研究機関と合同の専門分野特化の大学を作る流れは数年前から主流になっているらしい。

「辺鄙って、一応この県の中では都会な方だよ。通販もちゃんと届くし、イ〇ンモールもあるし住めば都だよ」
「公共交通機関がクソ」
「それは、車社会だからしょうがない。僕も自動車免許取ってから来れば良かったと思ってるよ……。買い物はもっぱら先輩の車に乗せてもらってるもん」

 出久がこの地に来てから『先輩』の話題が増えたのはいつだったか、一年目の秋頃に先輩に麻雀を教えてもらったと言っていた時だったろうか。俺は「てめェ、酒とかタバコとかも教えてもらってんじゃねぇだろうな!?」と目を吊り上げて怒鳴れば、「未成年にそんなことするような人たちじゃない」見くびるな、と静かに怒り返されたのを覚えている。
 俺はさっきの研究発表会の写真の二枚目、三枚目をスワイプしてこいつの言う『先輩』が誰か特定させようとしたが、それはついにわからなかった。

「免許取れや」
「あのね、免許取るのもお金がいるんだよ」
「知っとるわ、なんだったら俺が出す」

 俺は不意に静かになった出久を不審に思いスマホから視線を上げると、そこには出久が何かを堪えるようにコップのストローを弄んでいた。ガシャガシャと氷が鳴る音に、出久のイライラが見て取れた。

「それは、いいよ、さすがに悪いよ」
「そうか……」

 出久がドリンクバーの追加に席を立つと、俺はホッと息をつく。氷が溶けたアイスティーをごくりと一飲みして、カフェタイムの変わらない客数にまだ長居出来そうだと安堵した。

「そういえば」

 いつのまにか戻ってきた出久がコップをテーブルに置きながら、さっきの話はこれでおしまいと言うように明るい声色で言った。

「ヒーロー協会がさ、『ヒーロー過疎地域』にヒーロー事務所配置する話が出てるよね」
「ああ、話は聞いとる」
「この街も対象だったよ。そりゃそうだよ、人口に対してヒーローが少なすぎるもん」
「でもヴィランも居ねえだろ」

 出久が言っている『ヒーロー過疎地域』に対する補助事業は数年前から政府主導で立ち上がったプロジェクトだ。結局税金を投入してやることだからか、反発も大きくなかなか進まなかったようだが、国会の決議が通ったとかなんとか朝のニュース番組で小さく報道されていた。

「ヴィランは居なくても災害は全国どこで起こってもおかしくないだろ。やっぱり初動としてヒーローが居てくれたら心強いよ」

 俺は、小さく握り拳を胸の前で握る「心強いよ」ポーズの出久を無言で写真におさめた。

「なに撮ってるの?」
「あ?丸顔に写真撮ってくるよう頼まれたの思い出したんだよ」
「それならちゃんとポーズするのに」
「がんばれって感じでいいだろが」

 挙手制になったらしいその『ヒーロー過疎地域』の地方に配備される予定の「何でも屋」のようなヒーローが、税金で給料を賄っているからと言って新卒一年目のような給料で働かされるのだと、先輩ヒーローの何人かは嘆いていた。
 娯楽もない地方の都市で、はたして挙手制にして誰が挙手すんだ、というのが東京のヒーロー事務所に勤める若手ヒーローの総意だった。

「それよりかっちゃん、東京はどう?楽しい?」
「まあ、楽しいかもな」
「……ちょっと」

 俺がなんでもないように流して言った言葉に、出久は何故か口を尖らせていた。

「なんだよ」
「そこはさ、かっちゃんは東京の暮らしに『疲れちまってよ…』感出すとこだよ!」
「は?」
「東京が楽しいのは当たり前じゃん、そりゃ楽しいよ。オールマイトグッズだって店舗で実際に見て買えるし、コラボカフェだってすぐ行けるし、だから田舎に住む僕らが太刀打ちするには『田舎のほっこり感』で対抗するしかないんだよ」
「さっき自分で『辺鄙なとこ』って言った時に否定してたじゃねえか」
「だから、かっちゃんは癒されに都会から田舎に来てるっていう僕の中の設定なの」

 なんだこいつ、大学入ってからめんどくせえ感じになりやがったな、と俺が呆れていると出久はまた同じことを言い始めた。

「それよりかっちゃん、東京はどう?楽しい?」

 勝手にTAKE2が始まった茶番に、俺は一つ深いため息をつくと氷だけになったアイスティーを手に立ち上がる。

「疲れちまってよ、有休使って田舎に癒されにきてンだわ」
「有休?」
「今月の事務所目標『今月中に必ず一回は有給休暇を使いましょう』」

 ドリンクバーに向かう俺の背中に出久の声が投げつけられた。

「やだやだ、ホント日本人って、目標にしないと休めないなんてね」

 てめェも日本人だろうが、どの立場で言ってんだよという俺の突っ込みは言葉になることはなかった。

 席に戻ると出久がスマホに向かってポチポチと何かを入力していた。俺が音もなくテーブルにカップを置くと、出久は流れるような二度見で目を丸くしていた。

「こんな暑いのにホットコーヒー……?」
「うっせェ、エアコンの風がこっち直撃してっから。コーヒーで腹あっためンだよ」
「うわ、かっちゃんOLみたいなこと言ってる」
「あ?」
「よし、予約したぞ」

 やっぱりこいつ大学行ってからマジで図々しくなってんな、と俺がコーヒーを啜ると、なにやら『予約』したらしい出久はまたスマホを裏返してテーブルに置いた。

「髪の毛、予約した」

 くるくると指先で髪を弄ぶ出久の伸びきった前髪は、大きい出久の目を半分ほど隠しきっており、それはそれで、あの何もかも見透かすような瞳を見なくて良いかもしれないと俺は思っていた。

「地元の美容室以外で切ったこと無かったからさ、こっちで切りに行くの億劫になっちゃって」

 それは俺も覚えがあった。東京に出たばかりのころどの美容室に行けばいいのかわからず、俺にしては髪が伸びていた時期があったのだ。今ではなんとか行きつけの美容室が出来たが、出久はまだ見つけていないらしい。そりゃその癖毛じゃあな。

「研究室の先輩が、『みどやん美容室俺と同じとこ行けば?』って言ってくれて、そこにしてみた」

 また一つ出久の口から出た『先輩』に俺の心はあの日の激情を思い出す。出久が普通科に移ったあの日だ。俺が相槌も打たなくなったことに気づかないのか、出久はぺらぺらと止まらない口から「みどやん」というあだ名をつけてもらった経緯を話している。一ミリも興味が無いし、センスのないあだ名だと思った。いや、『デク』よりはよっぽど良いか。
 冷めてもないのにカップの中のコーヒーをぐいと呷り、俺は伝票を掴んで立ち上がる。口内が少し爛れたが気にしてられなかった。

「そろそろ電車時間だわ」
「あ、帰る?ぼ、僕も飲んじゃうね」

 公共交通機関がクソという俺の先の言葉は本当で、東京に今日中に着くには、明るいうちに在来線で主要駅まで帰らざるを得ないのだ。来るときはいつだってとんぼ帰りで、有休使って癒されに来ているとはやはり言えない。俺はただ弾丸日帰りで、地方のパッとしない駅前の、どこにでもあるファミレスの飯食いに来てるだけだった。

「あ、待ってよかっちゃん!」

 レジの前で伝票を店員に渡すと、後ろで財布を出しながら出久が走ってきた。俺は店員の「ご一緒でよろしいですか?」の声に「割り勘で」といつも通りに返すと、出久が安堵しているのが空気でわかった。
最初に飯食いにこのファミレスに来た時、俺は働いていたし初任給も出たから奢るつもりで支払ったら、出久が怒って万札渡してきて、それに俺が怒鳴って店前で喧嘩するという恥ずかしい思いをした。それから俺たちは割り勘だ。

 

 駅までの横断歩道は一つしかないのにいつも赤信号で止まるな、と俺が思っていると出久は半歩下がった位置で下を向いていた。

「なんかいつもファミレスでごめんね」
「別に、どこでもいいだろ」
「今度、先輩に美味しいお店」

 おそらく『聞いとくね』と続く出久の言葉を最後まで聞くことが出来ず、俺は赤信号が青に変わったと同時に横断歩道を走りだす。焦って追ってきた出久は、横断歩道を渡った先で急に止まって振り向いた俺の胸に頭から激突して喚いていた。
 俺は、胸の中で下を向く出久の、伸びきったくるくるの襟足を括っているのが、髪を留めるためのゴムではなくオレンジの単なる輪ゴムだと気づいてやっぱりこいつとは分かり合えんと改めて思った。

「もう、急に止まるなよ……」

 顔を上げた出久が俺と目が合うと、前髪に隠れていた新緑のような瞳が丸く見開いていく。同時に離れようと突っ張る腕を許さないと言うように、俺は出久の背中にまわす腕の中に閉じ込めた。

「きみ、なんて顔してるの」
「……どんな顔だよ」

 横断歩道を渡った先で抱き合う男二人の左右を、怪訝そうにかつ足早に、歩行者が通り過ぎていく。何人かジロジロと不躾な視線を寄越されたが、それでも良かった。どうせ俺のことを知ってるようなヤツはこの街にいない。

「捨てられた子犬?いや、そんなかわいいもんじゃない、オオカミ?」
「ンだそれ」

 どうやら背中にまわった腕を離してくれないと悟った出久が、観念したようにその身体を俺に預けるように胸に頬を摺り寄せる。

「どうしちゃったのさ」
「……一年もよお、俺がただただファミレスで飯食って日帰りしてンだわ」
「うん、観光するような所に連れていけなくてごめんね」
「なんのためだと思う」
「……田舎に癒されるため?」

 出久の答えを聞いた俺が「はあ」と大きいため息をつくと、出久はびくりとその肩を震わせる。

「……ぼくに、会うため?」

 恐る恐るといった様子で、まるでいたずらした子どもが親に白状するように出久はもごもごと答えた。俺は肯定するのも悔しくて、出久の背にあるデカいリュックごとまたぎゅうとその背中にまわした腕に力を込める。

「あの、僕もかっちゃんに会えるの嬉しいんだ。君にばっかり新幹線とか、高い電車賃払って来てもらうのが申し訳なくて、ほんとごめん。」

 だから、そんなことはどうでもいいと俺は言っているのに、出久は「割り勘事件」の最初から頑なだった。

「おい、もう一回俺に質問しろや」
「なんの?」
「東京は楽しいかってやつ」
「……かっちゃん、東京はどう?楽しい?」

 夏の西日は強烈で、昼間より日が落ちたとは言えぎゅうぎゅう抱き合っている俺たちのTシャツは汗でびしょびしょになり始めていた。

「俺の、知らねえところで、てめェが生きてるンかと思うと虫唾が走る」
「かっちゃ……」
「俺の知らねえ美容室に行くお前も、知らねえやつの車で買い物行くお前も、知らんあだ名で呼ばれるお前も、耐えらんねえンだよ」

 西日の暑さだけではない、俺と出久の心臓がドクドク鳴っている身体から発する暑さが原因の汗だと、お互い気付いているだろうが離れられなかった。

「俺の後ろにてめェがついてこねえ東京が、楽しいかって?」

「どこの寂れた街より退屈だわ」

 出久のうなじと耳が真っ赤になっているのは、西日のせいではないだろう。俺はようやくその腕をゆるめて出久の顔を正面から見ようとした。しかし、離されたことで自由になった両手で出久はその顔を覆ってその場でしゃがみ込んでしまった。

「おい」
「かっちゃんさ、なに、急に」

 出久は唸りながらさらにその背を丸めて、ついに地面に頭から突っ込んでしまうのではないかというほど小さくなった。

「ぼくも、君に会いたいから、バイト始めるんだ……新幹線乗って、東京行きたくて」
「あ?学生の本分は学業だろ、無駄なことすんな」
「無駄じゃ!ない!」

 君とファミレス以外に行きたいじゃないか!君が、割り勘にしたがる僕に気を遣ってファミレス指定してるの、気付かないと思った!?
 仕送りで社会人が行くような高いお店は無理だし、親に悪いからそんなことは出来ないよ!でも、自分で稼いだお金で君と対等にご飯くらい食べたいんだよ!
 車の免許だって取ったら観光だって行けるじゃないか馬鹿野郎……

 出久のよく通る声が駅前中に響き渡ると、いよいよ駅前交番から何事かと警察官が顔を出してきたため、俺は出久の腕を掴んで強引に立たせると駅の改札口に向かって歩き出した。

「無駄って言うな!」
「てめェうるせっ……ちょっとこっち来い!」
「ううう~」

 さっきは俺に向かって捨てられた子犬だかなんだか言っていた出久が、今や野犬のように唸っている。俺は暴れる出久を無視して、人目につかない自動販売機とコインロッカーが並ぶ隙間に入った。

「あのな、無駄っつうのは」
「無駄じゃない!」
「わかったっつの、だから聞け!」

 俺は出久の両手をまとめて俺の両手で包み込む。幼子が悪さをしないように、その手を掴んで目線を合わせるように、出久の涙に濡れた瞳に俺を映した。

「冬から俺もここに住むンだわ」

 だから無駄っつったんだよ。

 俺の言葉がうまく呑み込めないのか、出久はその頭の上に大量のはてなマークを飛ばして俺の顔と包まれた両手を交互に見ている。

「『ヒーロー過疎地域』の派遣ヒーローに立候補した」

 その言葉にハッと顔を上げた出久は、目をこれでもかと見開くと、みるみるうちに滲み出る涙を拭うこともなくただその頬につたわせていた。俺はその涙の筋がもったいないと感じて、ここが外でなければ本当は地面に落ちる前に舐めてしまいたかった。

「給料大幅に減るから、これからも割り勘だな」
「……うんっ…ぐす」
「運転免許は二人で取るか、郊外に観光行くだろ」
「……うん!」
「バイトはほどほどにしろ。学業優先だ」
「……かっちゃん、親かよ…っ!」

 出久が泣き笑いの顔でそう言うと、俺はついに耐えられずかすめるようにその口を俺のソレで塞いだ。暗がりのコインロッカーエリアでは誰も見ていなかったが、ほんの一瞬の口づけだった。閉じていた目を開けると、出久は驚きで涙が止まっていた。

「……親がこんなことするかよ」
「……しない……」

 プルルルルル 一番線から、〇〇発××行き、間もなく発車いたします。閉まるドアにご注意ください――

 不意に駅構内に響き渡るアナウンスは、俺が乗るはずだった電車の発車を告げるものだった。

「あ、かっちゃんの最終電車……」
「公共交通機関がクソだからな、しょうがねえ」
「え、どうするの?」
「しゃあねえから、てめェの家行くぞ」

 え?え?と展開に着いていけない出久が目を白黒しているが、お構いなしに俺は歩き出す。

「ま、待ってよかっちゃん! 明日の仕事は!?」
「最初から休みだわ」

 

「言っただろうが、俺の事務所の『今月の目標』」