yagi

『“個性”がなくても ヒーローは出来ますか!?』

 時々考える。この世の中に「個性」なんてものが無く、そこにあるのはただの「人」だったら、私は何をしていたのだろうと。
 たらればを考えることほど人生の中で無駄なことはない。かつて緑谷少年が言った言葉に私は一度「否」と答えた。ヒーローを職業として考えた時、個性が無くてもできる仕事だとはとてもじゃないが言えなかった。
 しかし、私はあの日出会ってしまったのだ。私が目の前の困っている人間を救けに行けず、一歩踏み出せなかった時に現れた『無個性』のヒーローに。

「オールマイト」

 見た目は何の変哲の無いアタッシュケースだが、厳重なセキュリティがかけられたそれを爆豪少年は軽々と持ち上げて私に手渡してきた。私に連絡が入ったのはつい数日前のこと。「ラスト試験だ」と一言のメッセージと共に送られてきたのは日時だった。私は爆豪少年の手に握られたアタッシュケースの持ち手を受け取るか受け取らまいかしばし迷い、意を決して強く握り返した。

「もうラスト試験か……早いな」
「遅いくらいだわ」
「君はちょっと焦りすぎだ」

 設計から資金集めまで奔走する目の前の爆豪少年は、すでに少年と呼べる風貌では無くなっていた。私は出会った頃より柔らかくなった爆豪少年の表情に、ここまで息も吐かず駆け抜けてきた少年の年月を垣間見る。
 オール・フォー・ワンと対峙するため私が突貫で作成依頼したパワードスーツは、それこそ途方も無い費用がかかっていた。ましてやあの頃と違い、設計から素材まで最新のものを取り揃えた特注品だ。私が今まで貯蓄してきた莫大な資産を投げ打って作ったあのスーツより、費用は何倍もかかるはずだ。それを、一人だけでは無いとはいえ資金集めから始めて完成までのこの早さ。私は目の前の、どこまでも諦めの悪い男を見誤っていたのかもしれない。

「焦るだろ。焦っちゃ悪りぃかよ」
  
 爆豪少年の言葉に私はハッと顔を上げた。思い出すのは、初めて彼の本音を聞いたあのグラウンド・βだった。『俺だって弱ェよ……』そう言って泣くのを堪えていた少年が、私の前で顔を出す。あんなにも赤ん坊の時は泣いてばかりだった私たちは、いつから泣くのを堪えるようになってしまったんだろう。泣き虫治さなきゃな、なんて言って感情を抑え込もうとしたのだろう。私が強い背中ばかり見ていたお師匠も、友人の前では泣いたりしたのだろうか。
 思えば爆豪少年は出会った頃から焦っていた。畏怖、拒否、自尊心。遠ざけても追ってくる「何か」を畏れ、ひたひたと聞こえる足音に焦っていたのだ。緑谷出久の根っからのヒーローたる心に、自分は追いつけないのではないか、と焦燥に駆られていた心の内を。それを全て飲み込み、畏れも不理解も自分の中でそれらを飼い慣らして少年は強く成長した。
 そりゃ焦るだろう。友達と遊ぶ約束をしていたのに、自分だけ集合場所に間に合わないのを焦らないはずがないように。きっと緑谷少年が隣に居ない現実を一秒だって縮めたいはずだ。

「無理はしてないかい?」
「してねーわ! してるように見えっか?」
「この間もチャート落ちてたよね、君」
「あれはッ……諸々の原因だ」

 爆豪少年が口を尖らして「元はと言えばクソ記者どもが危ねえとこにいやがって……」とブツブツ言い募るのを私は笑い飛ばした。不満そうにする爆豪少年を横目に、受け取ったアタッシュケースを持って強化ガラスの中へ入る。元々ワン・フォー・オールを所持し、パワードスーツの使用歴があり、さらに現在は無個性の身である私が一番被験体として相応しいと初期からテストに付き合っていた。これが最後だと思うと少し寂しく感じる。私と爆豪少年は、かつての緑谷少年と私のように「秘密の共有者」だったのだ。

「きっとうまくいくよ」
「……完成したら、出久にはあんたが渡してくれ」

 そう言うと爆豪少年は私の背中を押し、強化ガラスで囲われた部屋へ押しやった。私は少年の言葉に驚き背中を押されながら「君から渡すのがいいんじゃないか?」と言ったが、爆豪少年は薄っすら笑うと無慈悲に入り口の「閉」ボタンを押した。

『出久のこと、わかってねェなオールマイト』

 頭上からスピーカーを通して爆豪少年の声が部屋中に響く。ガラスの向こうで笑うのは、あの頃の泣くのを堪えていた少年ではない。『俺も出久も、あんたから渡されるモノが一番嬉しいんだよ』そう言う彼は、幼馴染と共に歩むことを諦めず勝ち取った逞しい青年だ。
 見えるか、ナイトアイ。個性が無くてもヒーローになれるし、私はヴィランに殺されず今も生きている。ガラス越しでも痛いほど感じるギラギラとした赤い両眼に、私が「わかった」と頷くと爆豪少年は珍しく嬉しそうに目尻を下げた。
 ナイトアイがかつて言っていた未来を変えるエネルギーが、ここには充満していた。

 

 

八木俊典は呼吸した