EP2

「北海道……?」

 

 

 

 

 

 

「北海道……?」

 授業が終わった僕が職員室に戻り、自分のデスクでパソコンのロックを解除するとそのマウスの横に見慣れない袋菓子が置かれていた。パッケージにはジャガイモと北の大地のシルエットが描かれており、中身はスナック菓子のようだった。僕はそれを掴み周りの机を見渡すと、セメントス先生の机にも同じものが置かれている。どうやら誰かが北海道に遊びに、もしくは出張か――とにかくお土産で買ってきてくれたのだろう。今までも何度かそういったことはあり、僕もどこかへ行った際には買ってこようと思っていた。
 誰が置いてくれたのだろうと、他の先生方に尋ねようとしていたところに、ドア越しにもわかる大声が廊下の先から近づいてきた。徐々に大きくなるその声の主が職員室のドアを開け入ってくると、静かだった職員室内が急に明るい雰囲気になった。僕はもはや日常となった高校時代から変わらないその姿に思わず声をかける。
 
「マイク先生、お疲れ様です」
「あれあれ緑谷ァ! バイブス低くねぇ!? 昼よ昼! ラ・ン・チ! SAY!」
「あ、はい! ランチ! へい!」

 マイク先生はなぜか僕にハイタッチを求め、僕は戸惑いながらも両手を合わせてタッチした。その際に手に持ったままだったお菓子の袋がマイク先生の手で少し潰されてしまった。

「あっ」
「おっと悪い!」
「いえ、僕が持ったままハイタッチしたのが悪くて……これ、どなたが置いてくださったかわかります?」
「ああ、相澤だぜ」
「相澤先生でしたか。先生北海道行ってきたんだ、いいなあ……」
「いや、それは――」

「三十分で行ける北海道」

 僕は背後から聞こえた声に振り向くと、職員室のドアを開けて今まさに話題の人物が入ろうとしていた。

「相澤先生! お土産ありがとうございます。でも、三十分って……?」
「YO! 聞けリスナー、北海道と書いてデパートと読むんだゼ!」
「そういうこと。先週近くのデパートで北海道物産展やってただけだ」

 気にするな、と言って相澤先生は自らの席に座り、いつものゼリー飲料を引き出しから一つ出していた。どうやら昼ごはんはそれ一つで済ますつもりらしい。僕は後から入ってきたセメントス先生にも同じように絡んでいるマイク先生を横目に、今日の昼ごはんであるコンビニのおにぎりをカバンから出した。学食に行ってもいいが、今の時間帯は学生たちでいっぱいのはずだ。時間をずらして食べに行くのもいいけど――そう逡巡していると、校内放送を告げるチャイムが僕ら教師の耳に入り、活気のある職員室が一気に静かになった。

 『――ピンポンパンポーン――先生のお呼び出しです。相澤先生と緑谷先生は、至急校長室へ来てください。繰り返します……』

 僕は手の中にあるおにぎりのパッケージを破る手を止め、カバンの中へそっとしまった。隣の相澤先生を見ると、ゼリー飲料を数秒で飲み切りパウチが音を立てて萎んでいた。感情の読めないいつもの相澤先生だけど、チラリと時計を見て一言僕に「行くぞ」と声をかけ立ち上がる。僕が同じように立ち上がると、前を歩いて廊下へ出ていく相澤先生の背中は心無し哀愁が漂っていた。僕はその背中を見て、食いっ逸れるだろうカバンの中の哀れなおにぎりを思い、デスクの引き出しにゼリー飲料を常駐させておく大事さを学んだ。

 *

「失礼します」

 相澤先生が校長室の扉にそう声をかけると、中から根津校長いつものトーンで返事が聞こえた。僕が相澤先生に続いて校長室に入り、扉を閉めると来客用の机とソファに一人の男性が座っていた。僕と相澤先生は根津校長に促されるまま、男性の向かいに座った。

「急に呼び出して悪かったね、お昼ご飯はもう食べたかい?」

 校長先生の言葉に相澤先生だけが肯定の返事をすると、その高いIQで察してくれたのか「手短に終わらせよう」と言ってくれた。僕は「すみません」と心の中で謝りながら、根津校長の隣に座る男性に目線を送る。向こうも僕を見ていたようで、ちょうどバッチリ視線がぶつかり気まずくなった僕は誤魔化すために軽く会釈した。
 
「本題だけ話そう。彼は、イレイザー・ヘッドの力を借りたいと直談判に来たのさ」
「俺の……?」
「校長先生、私から説明させてください」

 男性は懐から使い込まれたヌメ革のカードケースを取り出すと、流れるように名刺を僕ら二人にそれぞれ手渡す。僕は社会人一年目として初めてもらう名刺にドギマギしながらなんとか受け取った。名前の横には見慣れたテレビ局のマーク、そしてプロデューサーという肩書きが目の前の男性の職業を端的に表していた。

「イレイザー・ヘッド、そして『英雄デク』、お会いできて光栄です」
「え、英雄!?」
「テレビマンがなんでまた俺に?」

 彼が言う『英雄』に反応して上擦った声を出した僕に目もくれず、相澤先生は訝しげに名刺を一瞥したかと思えば、テーブルの上に丁寧に置いた。僕はそれを見てテーブルの辺と並行になるように、慌てつつも慎重に名刺を置いた。

「年末の風物詩――全国高校対抗早押しクイズ大会をご存知ですか?」
「あっ!」

 僕は最近聞いたばかりのそれを再び耳にすることになり、つい驚きの声を上げてしまった。相澤先生がジトリと、まるで高校時代に騒ぎすぎたA組のみんなが注意を受ける前のような雰囲気で僕を睨む。出した声は戻ってこないというのに僕はその口に手のひらを当てた。

「知っていますよ。今年もうちの生徒が出場するとかしないとか」
「そうです。今年も開催することは間違いない、のですが……ここにきてまずいことになったんです。先日、とあるインフルエンサーが投稿した動画に昨年出場した生徒の一人が出てまして、そこで言っていた内容により『イカサマ疑惑』が浮上したんです」

 ことの発端は、他愛のない友人同士の会話だった。インフルエンサーは若者に人気のメイク動画で有名になった女性で、高校時代の友人をゲストに二人でメイクを楽しむ動画を投稿した。友人の個性は『倍速』だといい、手首から下の関節を通常の倍の速さで動かすことができるらしい。

 『は〜い!みんなハロハロ〜! 今日はこの子の個性<倍速>と私の超早時短メイク術のどちらがより早くメイクを終えられるのか、勝負してみたいと思います!』
 『よくわからないけど、がんばりま〜す』
 『この子の個性は、手首から下の関節を倍の速さで動かすことができる!ってやつで……改めて使い所少なすぎん?』
 『いや、ピアノ大会で速弾きして拍手喝采されたことあるし……クイズ大会の早押しにも重宝したよ』
 『意外と使い所あって草』

 何気ない会話だった。それがインターネットの海に放たれた途端悪意の目に留まってしまったのだという。いや、もしかしたら最初からそういう目で見られていただけだったのかもしれない。きっかけがあれば、決壊する濁流はすぐそこまで来ていたのかもしれなかった。
 早押しクイズ大会と聞いて、年末の風物詩である『全国高校対抗早押しクイズ大会』を思い浮かべる者は少なくなかった。顔を出してメイクする速さを競うと言う性質上、顔バレしたことでネットの特定班の動きは早く、動画のリンクとともにテレビ画面のキャプチャ画像が名無しのアカウントから投稿されると、瞬く間に拡散されイカサマ疑惑は広がっていった。動画は数日と待たず削除され、テレビ局も事実無根の声明を出したが疑惑を払拭することは出来なかった。

「で、実際どうなんですか」

 顛末を語る男性の言葉が一区切りつくと、相澤先生はいつものように淡々とした調子で問いかけた。

「絶対に有り得ません! と、言うのは簡単なんですが、正直否定するほど根拠はありません。出場する際は『個性届』を必ず提出してもらうんですが、見てわかる個性以外を使ったかどうか判断する方法なんて、無かったんです。そこは、学生たちの性善説を信じていましたから……」
「……なるほど、話が見えてきた。申し訳ないが、俺は『個性』をヒーロ活動以外に使うつもりはないですよ」

 ため息とともに相澤先生が言い捨てると、目の前の男性は見るからに肩を落とした。重い沈黙を破ったのは傍観していた根津校長だった。

「しかしね、相澤くん。今回はむしろヒーロー活動としての依頼に近いのさ」
「どういうことです?」
「……これを見てください」

 男性が角2の茶封筒から取り出した用紙をテーブルに広げると、僕と相澤先生は少し腰を浮かせて覗き込んだ。テレビ画面やスマホの画面を撮った写真が印刷されており、そのどれにも赤い字で大きく『Q』と書かれている。

「……これは?」
「ここ一週間で、私たちの社が放送している番組に、映り込む謎の画像です。時間としては零コンマ数秒にも満たない。いわばサブリミナルのように入れ込まれているんです。この『Q』……見覚えないですか?」
「あっ!」

 僕はその文字を見た時から思い出そうとして唇を摘んでは離す癖が出ていたところ、不意に頭の中に答えが出てきたことでまたも大きな声をあげてしまった。

「これ……クイズ大会の……番組のロゴです」
「そうなんです……正直、だから何だと言われればそれまでなんですが……私は得体の知れないこれらが、今回の放送に関係無いとは思えない」
「明らかな挑発行為ってわけか。電波ジャックなんて、今時すぐ捕まるでしょう」
「それが、あまりにも一瞬のことで、警察も動くには実害が無さすぎると……事件性は無いという判断です」

 男性は悔しそうに印刷された用紙を握りしめると、紙がひしゃげる嫌な音が広がった。僕は心操くんの言葉を思い出していた。『普通科最大の見せ場』――この男性は、僕らに救けを求めているんだ。個性が前提の超人社会において、個性を使わず純粋に競い合う少年少女を、応援している人たちは確かにいた。僕はあまりにも近くに居た鮮烈な『個性』に憧れていたから、どうやったってヒーローという職業に憧れてしまったけれど、多くの人々は個性を使用するような職には就かない。その身一つで闘う若者を応援したい目の前のテレビマンだって、今や無個性の僕だって、気持ちは一緒なのだ。
 
「メディアがお嫌いなイレイザー・ヘッドのことはわかっています。危険を晒してまで大会を開催する意義はあるのか?社内でも意見はわかれています。それでも……!」
「相澤先生……イレイザー・ヘッドが、大々的に出演されるわけじゃないんですよね?」
「緑谷?」
「そ、そうです! 私が根津校長にご依頼したのは、いざという時のためのヒーローの配置。その中に“抹消ヒーロー”のイレイザー・ヘッドが居ることを世間に知ってもらえれば、大会の公平さが担保できると思ったのです……」

 相澤先生は僕と男性の言葉を聞くと、大きな溜め息を吐いてその右手で顔覆った。その隙間から「心操に嵌められたな」と小さくこぼす声を僕は聞き逃さなかった。結局相澤先生は快諾とは言い難くとも、当日の配置ヒーローを取りまとめる役目も引き受けていたから、根は生徒思いの優しいところが出てしまったんだと思う。元A組のメンツで揃えようとする相澤先生に「お前もだぞ」と釘を刺された僕は、無個性の僕が行っても戦力にならないと訴えた。

「校長先生の呼び出しになんでお前が入ってると思ってんだ。出るんだろう? 担任クラスの生徒」
「そうですけど……」 

 僕が口を詰まらせていると、不意に視線を感じて前を見る。先程まで相澤先生の承諾に感激して喜んでいた男性が、僕の顔を凝視していた。

「……デクは、無個性になってしまったんですか」
「えーっと、はい。なので今は教師としてのみ、雄英で働いています」
「そうだったのですね、ああ、だから普通科の担任をされていると」
「そうです」
「いいなあ、いや私も雄英のOBで……もっと言うとクイズ大会も出場していたのです。デク先生のクラスの子は、普通科なのに元ヒーローに教えてもらえるなんて、お得だなあ」

 むしろ僕なんて大学出たての新米ぺーぺー職員だから、決して『お得』だなんて思えないのだけど、せっかくそう言ってもらえているのだ、純粋に感謝の気持ちを伝えておいた。それと同時に、僕は彼の言葉を聞いて、先ほどの必死な面持ちに納得もしていた。きっと自らが得難い経験をした彼だからこそ、この大会にかける少年少女の気持ちが痛いほどわかるんだろう。彼が握りしめて皺になった『Q』の文字がいくつも映る写真を、一生懸命伸ばしてまた茶封筒に仕舞う。帰り支度をし始めた男性と根津校長を残し、僕と相澤先生は校長室を後にした。
 職員室に戻った僕はやっとありつけた昼食のおにぎりを食べながら、ポケットに入ったままになっていた北海道のお菓子を取り出した。現地に行かなくても名産品が買える手軽な旅行体験。そういえば、昔お母さんもよくデパートの催事会場に行ってたっけ。懐かしくなった僕は、近くのデパートで行われている催事イベントをスマートフォンで検索してみた。一番近いデパートは北海道物産展は残念ながら終了しており、スライドするように始まっていたのは九州物産展だった。

「とんこつラーメン……」

 僕の口からこぼれ落ちた言葉は、午後の始業を告げるチャイムの音にかき消されて誰にも聞かれることはなかった。