かつての恩師から「水難救助の実習に是非来て欲しい」と言われたのは、桜も散り切った四月の末だった。私は二つ返事で「もちろんよ」と答えたの。あの頃は正面の生徒用玄関しか使ったことが無かったから、来賓用出入り口から入る雄英高校は少し新鮮だったわ。
職員室までの道のりはもちろん知っていたけれど、玄関先まで迎えに来てくれた見知った顔に私はつい喜びを露わにした。
「緑谷ちゃん」
「梅雨ちゃ……フロッピー!」
ついぞ在学中に梅雨ちゃんとは上手に呼べなかった目の前の友人が、何も変わらずそこに居た。あの頃と違うのはジャケットの色だけのようで、ネクタイだって……あら。ネクタイは上手く結べるようになったようね。私は「ケロ」と不思議そうに細身の赤いネクタイをつい凝視してしまった。
「元気そうね、新人先生」
「右も左もわからなくて……必死なだけ。空回りばっかりだよ」
手土産の箱菓子を「つまらぬものですが」と手渡せば、緑谷ちゃんは「お気遣い、恐れ入ります」と形式張って受け取った。深々とお互い頭を下げて、同じタイミングで顔を上げると二人して吹き出した。流れるように出来てしまう私たちは、正面玄関はもう使えないのだ。
「緑谷ちゃんの一生懸命なところが、生徒たちに伝われば大丈夫じゃないかしら」
「そう、かなあ。蛙吹さんが言ってくれるなら……頼もしい援軍だ」
今日の水難救助の演習場所は、あの「USJ」だと言っていた。私は緑谷ちゃんと峰田ちゃん、三人で切り抜けたあの高校一年時のヴィラン襲撃事件を懐かしく思い返す。思い返せばあの日から、止まることのない激動の日々だった。緑谷ちゃんのヒーローとしての素養と狂気を見たのも、あの日が最初だったのかもしれない。緑谷ちゃんも峰田ちゃんもかっこよかったわよ、二人とも。
「かっちゃんにはね『オドオドしてると生徒どもにナメられるだろうが!』って怒られちゃった」
「爆豪ちゃんらしい」
「うん、ネクタイもちゃんと結ぶように言われたし……」
私はね、緑谷ちゃん。あなたが納得しているなら、それでいいのよ。だって、それが『正しい』もの。でも、お茶子ちゃんが被身子ちゃんの悲しみに触れる必死な姿が忘れられないの。私は、正しさだけがヒーローじゃないと学んだ。困難な道を行く人こそ真の『ヒーロー』なのかもしれないと思うのよ。
職員室までの廊下を二人で歩きながら、リニューアルしたというUSJの新設備を嬉々として語る緑谷ちゃん。その首元に鎮座する赤いネクタイは、私に「今に見てろ」と強く訴えかける。
爆豪ちゃんは、あなたと困難な道を行こうとしているの。だから、あなたの幼馴染が着せたがっているスーツを着るその日まで、そのネクタイをギュッと締めてここに立っていて。