俺が『ナイトアイ事務所』で新人ヒーローとして活動し一年と半年が経った頃、一件のアポが入った。卒業を間近に控えたヒーロー科の学生が事務所見学に来たいのだという。正直センチピーダーとバブルガール、そして俺ルミリオンの三人で経営しているナイトアイ事務所に新たなヒーローを雇う余剰は無かった。バブルガールは送られてきた申請書を見ながら「お断りするしかないですよね……」と残念そうに呟いた。センチピーダーもやむ無しとして事務所としての方針は固まっていたが、俺はアポを取ってきた学生の名前を聞き仰天したんだよね。きっと彼はナイトアイ事務所に入るつもりなど無い。俺はバブルガールに「単に事務所を見てみたいだけかもしれないですし、俺が案内しますよ」と案内役を買って出た。
一週間後の金曜日、学校帰りだろう爆豪勝己くんは懐かしの雄英高校の制服を身にまといナイトアイ事務所の入り口に立っていた。
「や! お久しぶりだよね」
「っす……今日は、ありがとうございマス」
爆豪くんはマフラーを巻いた首元を寒そうにすくめ、俺が思っていたより深く頭を下げた。どうやら俺が卒業した後も高校三年間を通してベストジーニストにだいぶ「矯正」されたようだった。そう、彼はベストジーニストのもとで長くインターンを続けていたはずだ。あの大戦後、重症だった爆豪くんが個性の使用許可が出なくともインターンは続けられていたと聞いている。俺がナイトアイ事務所でお世話になっていたことを鑑みるに、爆豪くんが卒業後ベストジーニストのもとへ行くのは明白だった。
「事務所見学……だっけ。どうしてうちに? ベストジーニストには断られた?」
「いや、卒業後は……ジーニアス事務所でお世話になる予定っす」
俺はやっぱりと思うと同時に安堵していた。これで「断られた」なんて言われた日には気まずいなんてもんじゃない。しかし、俺はそれなら尚更爆豪くんの意図を図りかねた。爆豪くんと俺はそこまで接点があったわけではない。在学中に接点があったのはむしろ彼の「幼馴染」であるデクこと緑谷出久の方だったからだ。
俺はあの『天空の棺』を思い出し、懐かしむと同時に今でも冷や汗が出るのを改めて感じた。一度は目の前の少年を、あんなにも大勢のヒーローがいながら救えなかったんだよね。鬼神の如く躍動した大・爆・殺・神ダイナマイトの勇姿は目が焼かれるほど鮮烈だった。だからこそ手を伸ばしても届かず空を切る絶望が、立ち込め始めた雨雲のように俺たちを憂鬱にさせて、いつまでも喉に張り付いて取れない。
爆豪くんが地に倒れ心臓を貫かれているのを見た緑谷くんの、生気を失った様を思い返す。どれほどの年月一緒に居た幼馴染だかは正直知らない。俺と環のように、良好な関係では無いことも薄ら知っていた。でもあの時の緑谷くんを見るに、きっと彼らは一言でおさまるような関係では無いのだろうと想像がついた。
「今日は、お願いがあって来た……っす」
「お願い」
「いず……緑谷出久は……もう個性が無え。ヒーローにもならない」
緑谷くんの『個性』の話を聞いた時は驚いた。死穢八斎会の事件が終わった後、俺が入院する病室で彼が言っていた「先輩に僕の個性を譲渡できるとしたら」と言う発言の趣旨も、後になってよくわかったっけ。最終的に因縁めいたその個性を死柄木弔に譲渡することで、あの大戦は収束することがきたのだという。じゃあ、緑谷くんに個性は無い……頭では「そうだろう」と思っていたけれど、いざ突きつけられた現実は俺を少し動揺させた。彼の、緑谷出久のヒーローたる精神をサーはいっとう好んでいたんだよね。緑谷くんの未来を捻じ曲げるほどのエネルギーがサーの希望だった。運命に屈しないオールマイトの未来を、そして俺がもう一度ヒーローとして立派に活動している未来を、緑谷くんはサーに信じる勇気をくれたんだ。
事務所の中へ入り螺旋階段を登る足を止め、俺が動揺して言い淀んでいるのを待たずに爆豪くんはさらに言葉を続けた。後ろから着いてくる爆豪くんがどんな表情をしているかはわからない。ただ、きっと射殺すような目つきをしているだろうと思った。「お願い」なんて殊勝なことを言いながら、きっとこれは命令なんだよね。
「十年……いや、五年。緑谷出久を待っててくれませんか」
「待つ?」
「俺たちが『デク』を取り戻す」
そしたら、デクを先輩の事務所に入れてくれませんか。
俺は螺旋階段の三段下に居る爆豪くんを振り返って見下ろす。爆豪くんはいつからかマフラーを外して、そしてまた深く頭を下げていた。二人が一体どんなに昔からの付き合いで、何がその関係を壊し、何が今の発言に繋がったのか俺は知るよしも無いよ。でも、爆豪くんが心臓を貫かれ生死の境を彷徨ったあの『棺』で、一目その姿を見た途端に我を忘れた緑谷くんを俺は知っている。
「断る理由無いし、いいよ」
そう言って俺は爆豪くんのツンツン頭のつむじを目掛けチョップした。「もちろん、緑谷くんが望むならだけど」と付け加えると爆豪くんは「うす」と言って俺の手をどかすことなく更に頭を下げた。俺はその姿に、サーが好きそうな未来を捻じ曲げる若者のエネルギーを感じたんだよね。