今月中に必ず一回は有給休暇を使いましょうという作品の、デクな研究室の先輩モブ視点の小話です。
週明けに研究室へ入ると、いつもの緑頭のもじゃもじゃが少しばかりサッパリしていた。俺が入ってきた音に気づかず、パソコンに向かってうんうん唸っている姿は、かつて世界を救った大英雄とはとても思えないだろう。近々二十歳になるはずのその後輩は、少年のような顔を険しく歪ませながら目の前の研究に没頭していた。
ヒーロー科から、しかもあの天下の雄英!しかもしかもあの全世界に中継されていた最強ヴィランと対峙していたヒーローデクだなんて、何がどうなってこんな片田舎の国立大学に来たのか俺は意味がわからなかった。ヒーロー科卒なんて体育会系のいけ好かない野郎ばかりだと思っていたし、あの戦争の英雄なんて、なんならもっとムキムキマッチョメンのオールマイトのような姿だと思っていたものだから(いや、緑谷はそのベビーフェイスに似合わず筋肉はすごいんだけど)緑谷の腰の低い態度とあくまで研究がしたくてこの大学に来たんだという一生懸命なアピールは面食らった。
ナード気質なところもあってか、研究しかやる事のない灰色の青春時代を送る俺らと打ち解けるのにそう時間は掛からなかった。
もちろん、あの大戦で何があったのか、なぜヒーローにならずこんな辺鄙な場所で大学生活を送っているのか、聞きたいことは山ほどあったが、俺たちが知ったところで何も変わらないし、なんならそんな情報は邪魔でしかないだろうと俺は思った。
「よぉッス、みどやん、早いね」
「この数式を当てはめると次の実験結果で……とすると個性因子の抽出は……」
「……おお〜い」
「……ッ! せ、先輩! おはようございます!」
鞄を置きながら緑谷の顔の前に手を振ると、やっと俺の存在に気付いたのか緑谷は椅子から跳ね起きてこちらに向き直った。
「おはよ。まさか徹夜してないよな? ほどほどにしろよ〜」
「ちゃんと帰ってからシャワー浴びて来ましたよ! 寝てはない、ですけど……」
「バイト始めるって言ってただろ。講義無い日だからって徹夜はよくないぜ」
「うっ……すみません」
「いや、怒ってはないけどさ」
後頭部をガリガリ掻きながら緑谷はもう一度謝ると、ふわりと笑って「心配してくださってありがとうございます」と頭を下げた。その晴れ晴れとした顔に何かあったかと俺は目を見開いた。
「どうした、髪の毛もさっぱりしたし、みどやん何か良い事でもあったか」
俺がコーヒーメーカーに豆を入れながら聞けば、緑谷は「僕が準備します!」とバタバタ機械のコンセントをセットし始めた。教授が忘年会のビンゴ大会で当てたというコーヒーメーカーを研究室に置いていったその日から、このコーヒーメーカーは俺たち学生のスタバなのだ。
最後に電源ボタンを入れて、緑谷は「実は」と頬をほんのり桃色に染めながら話し始めた。
「今度、この街に東京から対ヒーロー過疎地域の派遣ヒーローが来るの、知ってます?」
「ああ、この冬からだっけ。夕方の県内ニュースで見たような」
「それにですね、僕の同期、いや、クラスメイト……いや、幼馴染……」
それは見事な急降下だった。緑谷は言葉尻を萎ませながら、桃色だった頬はどこへやらお馴染みの唇を触りながらの長考モードに突入した。その口からかろうじて聞こえてきたのは「僕たちって一体……」という緑谷のここ最近聞いていない戸惑った声色だった。
「みどやんの知ってるヒーローが来るんだ?」
「えっ……と……はい、そうなんです!」
「それは良かったな、みどやんこっち来てからなかなか帰省もしてないだろ?」
「はい!いっぱい遊び行けたら良いなあ、そのためにバイトでお金貯めてまずは運転免許でも取ろうかと」
「お、そんなん言ってくれれば俺が車出すのに」
運転免許を持っていない緑谷をよく買い物に連れて行った俺は、他の研究室生にもあれやこれやとアッシー君にさせられていたため緑谷の友人が増えたところで車を出すのは全く苦では無かった。
「いや……」
コーヒーメーカーから挽きたての豆の良い匂いが漂ってきた中、緑谷は先ほどの比では無く頬を赤く染めポソリと呟いた。
「あんまり先輩の車に乗ると、怒る人がいるので……」
俺は「それなんて束縛彼氏」と言いたい気持ちをグッと堪え、緑谷が指先をモジモジさせて俯く後頭部から頸に髪が掛からなくなった様を見て、随分短くなって幼くなったな、と現実逃避してみた。
同時に何故か、俺が研究室のアカウントに緑谷が写っている写真をアップすると、自らの公式アカウントで光の速さで「いいね」をしてくる某ヴィラン顔若手ヒーローを思い出してしまった。
俺は心の中で、派遣ヒーローはどうかあのヒーローではありませんように、と神に祈りながら抽出が終了したと電子音が告げているコーヒーメーカーを手に取った。