強欲なヒーローたち(前編)

「今月中に必ず一回は有給休暇を使いましょう」という話の約二年後です。
設定等もそちらでご確認ください。
地方派遣ヒーローの勝×無個性に戻った大学生のデ
出てくるあれこれは実在のものと関係ありません。
前編はデク視点、後編は勝視点です。

 

 

 

 

 いつもは大規模フリーマーケットが行われているイベントホールの入り口に、“合同就職説明会“の看板が即席で設置されているのを確認すると、僕はギュッとビジネスバッグを握る右手に力を込めて会場に入った。そろそろ就活も中盤――いや、終盤に差し掛かっている時期だからか、初期の説明会に比べると明らかに人数が減っており、参加している企業も名の知れていない所が多かった。学生も僕を含めてパッとしない男女が多い印象だ。
 いかにも「運動部でした」という筋肉でスーツをかっこよく着こなしている爽やかスポーツマンや、就活のために品行方正を装うコミュ力おばけのいわゆるチャラ男のような人たちは既に最終面接に進んでいるんだろう、今日の会場にはいなかった。いくつかの企業ブースで「うんうん」と赤べこのように首を振り、当たり障りのない質問をして、ミミズのようなメモを取る。家に帰ってからそのメモを見返すことは無いのを知りながら、さも「話を聞いていますよ」という体でペンを走らせた。そのペンを握る手を見て、一瞬隣の女子がギョッとした顔をしたが僕が顔を向けると、そそくさと自分のメモに顔を戻した。
 イベントホールからバイト先に向かう途中、まだバイトまで時間に余裕があった僕は、コーヒーチェーン店に腰を落ち着けると徐にエントリーシートを取り出した。流れ作業のように各項目を埋めていくと、「あなたの強み」というありふれた項目でペンを止めた。きっとこの「強み」には、企業に都合の良い「強み」であって、個人の個性はあまり関係が無いことを就活生は全員知っている。
 去年まで一緒に研究していた先輩たちの約半分は大学院に進んで研究を続けていた。僕も有難いことに院の先生からラブコールをもらっている。もっとも、院試を受けて合格すればの話で、まだ就職か大学院か、それから――もう一つの選択肢も含め、決めかねている僕は全てを同時並行していた。駅に直結したカフェだというのに人がまばらな店内で、僕は結局止まったペンを再び動かすことが出来ずにエントリーシートを鞄へ仕舞い込んだ。いつの間にか飲めるようになったブラックコーヒーを飲み干す。先ほど隣の女子が驚いたガタガタの手、カップを掴んだその歪んだ右手は、僕が確かにあの頃ヒーローの卵として雄英高校に立っていたという証明のようにそこにあった。
 僕はその歪んだ手をぎゅっと握り込むと、一つの決断をした。

 

 

 季節がまた夏に近づいている。
 僕は汗ばむ首筋をタオルハンカチで撫で付けながら、外階段のついた鉄筋コンクリート製の独身寮を訪ねて足を進めた。この彼の城に来るのも幾度と数えられない程になっていた。いや、数えられるはずなんてない。ほぼ同棲のような生活をしている、と自分でも最近思っていたところだ。僕は目当ての三階の角部屋に辿り着くと鍵を開けて中に入り込む。家主は居ない。北西向きの窓からは、夕方に差し掛かりやっと陽の光が入り込んで部屋を照らしている。それを見越して遮光カーテンを開けたまま仕事に向かった彼は、この部屋の不満としてこの陽当たりの悪さだけを言っていたっけ。
 近くの公立中学校の教師向け独身寮の一室を与えられた彼ことかっちゃん……いや、大・爆・殺・神ダイナマイトが、僕が住む地方都市の『対ヒーロー過疎地域派遣ヒーロー』として勤務し始めて一年半が過ぎようとしていた。

 僕は家主は居ないが「お邪魔します」と一言呟き、成人男性の靴が二つ入れば上等の玄関を、後ろ向きに靴を脱いで上がり込む。僕は自ずと見ることになった目の前の玄関扉に目をやると、そこにはかっちゃんらしい黒いレザーのキーケースが手持ち無沙汰にぶら下がっていた。マグネット式のフックがいくつかくっついている扉には、先のかっちゃんの愛車の鍵の他に昨日送られてきたのだろう水道料金の支払いハガキが「忘れるな」という強い意志を感じさせるように貼られている。僕は隠れきれずに顔を出す後ろのもう一枚が気になり鍵とハガキを軽く捲ると、一枚の写真が貼られていた。それは今年の春に車で一時間程かけて行った城跡で、花見をした時の僕の横顔だった。隠し撮りのように撮られたそれを見た僕は、急いでハガキをまたマグネットで貼り付けた。
 きっとかっちゃんはコレを隠したかったはずだ。家を出る直前に僕が今日部屋に来ることに気付いてハガキで隠した、というところか。
 僕はムズムズする口元を真一文字に引き結んだがそれでもやはり抑えられず、くふりと声を漏らし、それは誰に聞かれるでもなく六畳間の狭い部屋に溶けて消えた。

「かっちゃんおかえり」

 玄関扉を開ける音だけが聞こえたから疑いもなく声をかけると、家主は自分の家に帰ってきたというのに「ただいま」を玄関扉に向かって呟き座り込んでその靴紐を解いていた。腰元にはビニール袋に入った何かが置かれている。また貰ってきたのだろうと、僕が口を開く前にかっちゃんは立ち上がり僕に袋を渡してきた。

「風呂入ったか」
「うん、お先に頂いてました」
「これ、貰ったから冷やしといてくれ」
「きゅうり? おお、立派だね。お味噌つけて食べたい」
「初物だから食えって貰った」
「愛されてるね、ヒーロー」

 僕がニシシと笑って言えば、かっちゃんは眉間に皺を寄せて「風呂入ってくる」とバスタオルを掴んで脱衣所に消えた。それが照れ隠しであることは明白だった。かっちゃんは地域の人たちに本当に愛されているヒーローになった。警察と連携した治安維持活動、災害への初動対応だけではない、県内の高齢者地域でのボランティア活動や小中学校での啓蒙活動も積極的に行い、かっちゃんは地域に馴染んだヒーローとして定着していた。冬には田舎に似つかわしくないビシッと決めたコートとブーツなのに大きな大根片手に帰ってきて、おかしかったな。でもきっとそれはこの地で活動するかっちゃんの、ヒーローとしてのこの上ない手土産だった。

『今年のヒーロービルボードチャートJP上半期! トップテンの発表が今、されようとしています!』

 僕はつけたままにしていたテレビから聞こえてきた声に、そうだったと急いでテレビ前に戻った。今日はこのためにかっちゃんの部屋に来ていたんだ。今年の活躍度を考えると僕らの同期からトップテン入りする者が出てもおかしくない。昨年は通形先輩がトップテン入りを果たしていたし、きっとそろそろ轟くんあたりが入りそうだ。僕の調べでは今年九位か八位くらいに入っていても良いだろうと分析している。

『今年は新顔が早くも十位に登場です! 父親譲りの迅速な事件解決! 幅広い年齢層から支持を得て、実力と支持率が鰻登りのヒーロー……』

「ああ……十位かあ」

 僕はステージ上に歩みを進めるそのヒーローの足元を映すカメラに、もう来てしまったかと当てが外れた少しの悔しさを滲ませてしまった。でも十位も本当にすごいことだ。ホークスほどではないが僕らの世代では最速のトップテン入りとなった。

「轟か」
「かっちゃん……! あがるの早かったね」
「きゅうりは」
「冷やしてあります。食べる?」
「あちぃから、ちょっと涼んでからな」

 お風呂から上がったかっちゃんが、バスタオルで体と髪を拭きながら脱衣所から出てくるとテレビを一瞥した。その眉間にいつものような皺は無く、凪いだ風のような表情に僕は一人で唾を飲み込んだ。多分、言いたいことが言葉にならずに飲み込まれた唾だった。
 アチィアチィとぼやきながら冷蔵庫を物色する背中には、あの大戦で負った傷もあれば僕が一昨日の夜につけた引っ掻き傷もあった。かっちゃんがしゃがむ冷蔵庫の横には、僕らが商店街の福引で当たった高級ロボット掃除機が埃を被ってそこに居た。こんな六畳間ではハイスペックすぎて使っても意味ねェって言ってたっけそういえば。

「そういや、お前就活か院進むか決めたンかよ」
「え……?」
「四年の夏、進路決めるタイムリミットだろ。どうすんだ。俺の任期も冬で丸二年になるから協会から更新すっか聞かれてんだよ」
「更新……」

 僕は目線をテレビに戻すと、この日のために考えてきたスピーチとは思えない程いつものマイペースさで話している轟くんがそこには居た。かっちゃんは、トップテン入りは疎か雑誌上で話題にもなっていなかった。かっちゃんがそれに何も言わないのも、高級ロボット掃除機が埃を被る程の六畳一間の独身寮も、全部異質だと思ったら止まらなかった。さながらシミュレーションゲームで間違った選択肢を選んでしまった時のように、間違ったルートなんじゃないかって。

「まあ、どっちにしろあと二年更新しても俺は良い――」
「――更新しないで」

 僕がそう言うとかっちゃんは物色していた冷蔵庫からゆっくりと振り返り、僕をその目に映すと赤い瞳を微かに揺らした。僕はグッと歪んだ右手を握って奮い立たせる。負けちゃダメだ。

「かっちゃんは、冬には東京に戻ってよ」
「……は?」
「言ってなかったけど……留学するんだ、僕」
「…………」
「研究室の紹介で、個性因子の海外研究チームに入れて貰えそうなんだ。留学生の身分で渡航させてもらえるかもしれない」
「……どこに、何年だ」
「オーストラリア、期間は……」

 かっちゃんは僕が言い淀むと嫌な予感がしたのか、強く足を踏み締めて一歩僕に近づく。触れられる程近い僕らに物理的な障害は無いはずなのに、遠く離れてしまったような錯覚に陥った。

「何年になるか、わからない」

 風呂上がりで暑いと言うだろう彼のためにつけていた冷房は、夏の始まりには少し肌寒く感じた。かっちゃんの住むこの六畳一間の城は、狭すぎてエアコンの効きも良すぎるんだ。「そうかよ」と力無く言ったかっちゃんがどんな顔をしていたのか、冷蔵庫の物色に戻った背中越しに確認することは出来なかった。

 

 

「悪いな緑谷、遅れてしまった」

 僕が待つチェーン居酒屋の個室に入ってきた障子くんはいつも冷静な様子を少し崩して、いくつかある手の一つで扇子を仰ぎながらさらにもう一つの手で引き戸を閉めた。焦らなくて良いよ、とメッセージを送ったが見てくれただろうか。ヒーローとして忙しい障子くんと学生の僕では僕の方が時間を合わせて当然なのに、優しい障子くんは仕事終わりに急いで来てくれたようだった。

「ううん、全然待ってないよ!」
「そうか、爆豪は今日仕事か」
「うん……かっちゃんも来れたら良かったよね」
「俺が急に連絡したのが悪かった。月に数度、他県のヒーローと提携して活動してるんだが、今月がここでな。そういえば緑谷たちが居るんじゃないかと」

 そう、障子くんが偶然にも僕が住む県で活動していることを教えてくれたから、じゃあ折角だし久しぶりにご飯でもと僕がお誘いした。こんな機会でもなければ疎遠になってしまうから。いや、僕は現役ヒーローとして活躍するかっちゃん以外のA組のみんなに会って安心したかったのかもしれない。

「――障子くんの個性ならどんな仕事がいいかって、僕考えてみたことあって……ちなみにヒーローはもちろん天職だと思うけど! 複製腕で握力も相当な障子くんならテレビ業界のさ、技術さんとか重宝されると思うんだよね! カメラマンと音声、照明とか全部自分の思いのまま操れるんだ……」

 障子くんは何度も僕をその触手で抱え込んでくれたように、会話も適度な相槌と的確な意見を言って優しく包み込んでくれた。お酒が入った僕は、個性因子の研究のことを聞かれた流れで、A組のみんながヒーロー以外の職をしていたら……の妄想を披露していた。「轟くんは企業で営業マンになれば、夏でも冬でも体内の温度調節によってクールなスーツ姿で外歩きできると思うんだ!」と僕は熱くプレゼンしたが、それだけは宝の持ち腐れじゃないかとやんわり否定された。

「爆豪は? ヒーローしてなかったら何やってるか」
「かっ……ちゃんは……」

 留学するとかっちゃんに伝えた日から二週間経ったが、僕はあの独身寮に足を運ぶことが出来ないでいた。あんなに足繁く通っていたというのに、何かと理由をつけて「行けない」と連絡していたのだ。それは、かっちゃんも同じだったんじゃないかと思う。

「かっちゃんは、なんだろう……爆破かあ。ちょっと思いつかなくて……何に活用できるかな」
「爆豪こそ、ヒーロー向きの良い個性だからな」
「うん! かっちゃんがヒーロー以外をしてるとこ、想像できないや」

 僕はなんだか気まずくて、温くなったビールに口をつけた。障子くんが飲み終えたグラスを片付けているのを見て、そろそろお開きかと寂しく思っていると、障子くんはそんな僕を見て「最後の一杯、頼むか」と言ってくれた。

「何か話したいんじゃないか、緑谷」
「え……」
「そんな顔をしている」
「ごめん、心配させちゃったかな」

 僕が「そんな顔」と言われて頬をつねりながらドリンクメニューから最後の一杯を選んでいると、障子くんはマスクを外してさらに続けた。

「俺もヒーローなんだ。余計なお世話をさせてくれないか」

 障子くんがかけてくれた言葉は、かつてオールマイトが言ってくれたヒーローの本質だった。僕は急にここが雄英の寮で、目の前にいるのは雄英高校一年A組の障子くんで、僕は雄英高校一年A組の緑谷出久になったような気がした。

「かっちゃんが……」
「爆豪が」
「かっちゃんが、僕と一緒に居たいと思ってくれてるのが、嬉しいんだ」

 かっちゃんが隣に居ないまま過ごした大学生活は、たとえ一年だとしても満ち足りない物だった。あの日同じように思っていた二人を変えたその一歩を踏み出してくれたのは紛れもないかっちゃんで、それがすごく嬉しかったんだ。この一年半、僕もかっちゃんも今までを取り戻すように、まるで「普通の若者」のように過ごしていた。「給料は減ったが拘束時間が減ったから、アフターファイブが捗るわ」とはかっちゃんの言葉だがまさしく、バイトと大学生活の僕と派遣ヒーローのかっちゃんは、長い人生の夏休みを謳歌していた。

「でも、僕はかっちゃんがヒーローとして燻っているのを見るのも嫌で……僕みたいな地方の学生に合わせて足踏みさせてるのが本当は苦しかった」
「爆豪はそんな風に言ってるのか」
「もちろん言わないよ。でも、バクゴーヒーロー事務所を開いて、サイドキックを何人も雇って、オールマイトを超えるナンバーワンヒーローになるんだよ。なんでこんな地方で派遣ヒーローなんてやってるんだよって、僕は時々夢の中で『僕』に泣きつかれてる」

 僕はかっちゃんの一番のファンだから。

 障子くんの触手から伸びた第三の手が僕の頬を優しく撫でたのを感じて、僕は初めて自分が泣いていることに気付いた。「泣き虫直さないとな」とかつてオールマイトに言われていたのを思い出し、近くにあったおしぼりを目元に擦り付けたが、水分は次から次へと溢れてテーブルを濡らした。

「僕がかっちゃんの『枷』になっちゃってるなら、いっそどこか遠くに行っちゃおうと思って――ちょうど留学の話が来たんだ」

 留学の話は、僕にとって願っても無い嬉しい話だった。それでも、かっちゃんと『また』離れちゃうんだなと思った時、それがどうしても耐えられなくて一瞬だけ一緒に来て欲しいと思ってしまった。なんて傲慢な考えだと、それに気づいた時僕は背筋が凍った。僕だけがやりたい事やって、かっちゃんを振り回してるんじゃないか。きっとかっちゃんがヒーロー過疎地域の派遣ヒーローに立候補したのは、僕と一緒にいるためだった。これは自惚れじゃなくそう思うし、僕はそれが本当に嬉しかった。けど、時々思う。僕にまだ『個性』が残っていたら。いや、そもそも最初から僕に『個性』が備わっていたならば、こんな形じゃなく君の隣に立っていられたのかって。

「緑谷」

 俯く僕に障子くんがかけてくれた声はいつも通りの落ち着いた低い声で、僕は何度か背中でその声を聞いたっけと懐かしくなった。湿っぽくなった空気を蹴散らそうと、僕は「ごめんね」と笑ってメニュー表を障子くんに手渡した。障子くんは「決まったのか」と言ってくれたけど、もう一杯を頼む気になれなくて首を軽く振った。

「俺は、田舎の生まれだから異形差別ってのもあったよ。ヒーローってのは、遠い存在だったのも確かだ」
「うん、そう言ってたね」
「だからかな、こうやって月に数回は地方のヒーローとチームアップすることにしている。ヒーローを身近に感じてもらうこともひとつの理由だ」

 障子くんが高校時代に語ってくれた言いたくも無いだろう話は、それこそ忘れられずに今も僕の心に残っている。あの大戦のセントラル病院でのことも、全てが終わった後に聞いていた。それを乗り越えてヒーローとして活動している障子くんは、最高にかっこいいヒーローだ。一度話を区切った障子くんは外したマスクをそのままに店員さんを呼ぶと、ホットウーロン茶を二つ頼んでいた。

「もっと欲張りなのだと思っていた」
「え?」
「俺の知る緑谷出久の話だ」

 ――林間合宿で常闇か爆豪、どちらを救けたいか問うた時『どちらも救けたい』と即答したお前だ。

 障子くんはそう言うと僕にスマホの画面を見せてきた。それはニュースサイトの小さな地方紙レベルの記事だ。そこには「野菜泥棒対策を地元ヒーローとともに」という見出しで、大・爆・殺・神ダイナマイトが地域の農家と一緒に野菜泥棒対策を講じたことが載せられていた。対動物のみに反応していたセンサーを改良し、人間の害意に反応する電気柵を一部の農場で導入実験をするという。これと言ってニュースの無い地方紙によくある、取材してまで報じることではない記事の一つだった。僕は障子くんが頼んでくれたホットウーロン茶を一口飲むと、思っていたより熱くて舌を火傷したがそれでも良かった。口の中よりも、胸が熱くて堪らなかった。今すぐかっちゃんに会いたくて、堪らなかった。
 「実験に立ち会ってくれた大・爆・殺・神ダイナマイト」というタイトルがつけられた写真で、汗を拭って農家のおじさんらと一緒に笑い合っているかっちゃんは、とても誇らしそうな顔をしていた。

 

 

 

つづく