「太陽の行き着くところ」と同じ設定の話です。
単体でも読めると思います。
プロヒーロー勝己と教師デクの勝デ未満小話です。
ボロとまでは言わないが、それなりの年季が入った鉄筋コンクリート製アパートの一室を道路から見上げた俺は、一番端の窓に灯りが着いているのを確認する。俺は地面を蹴り上げる速度が上がるのを、一歩踏み出して堪えた。アパートから徒歩一分という近さにある、ある意味行きつけのコンビニに寄る必要があったからだ。「いらっしゃいませぇ」語尾が変に伸びた話し方をする大学生風情の店員を見るのも幾度目か。俺は値段の割にたくさん入っているスナック菓子と、ビールとスミノフアイスを買う。俺は酒を飲むようになってもっぱらビール党だが、今から向かうアパートの主は低アルコールで飲みやすいと以前言っていたのを思い出す。あまり量が入ってないくせに値段が高く、女が好んで飲みそうな味のするその酒は俺の舌には合わなかった。買い物カゴの中で隣り合うビールとスミノフ、そしていくつかのつまみが入っている様を見た俺は思わず苦笑した。幼馴染の住むアパートに遊びに行くと言うには、回数が増え過ぎた自覚はあった。
コンビニを出た俺はカンカンと音を響かせながらアパートの外階段を昇り、お目当ての扉へ走る。冬の始まり、十一月も末になると木枯らしが身に染みる。そろそろ中綿の入ったダウンを出すか、と俺は薄手のジャケットのポケットに手をつっこんだ。階段を昇りきった俺が扉を開けようとドアノブを回すと、自らの力ではなく中から引っ張られるように開けられた扉に体を持っていかれた。
「うおっ」
「お疲れ様、寒くなかった?」
玄関まで迎えに来たらしい出久にコンビニで買った袋を渡し、自分も鞄とジャケットを脱ぐ。玄関には出久らしい赤いスニーカーが所狭しと置かれていたが、狭い玄関ながら俺の靴が置けるスペースが確保されていた。そういやいつの間にかこいつ仕事に革靴で行かんくなったな、と考えていると冷蔵庫に中身を入れていた出久が「あ、スミノフ!」と嬉しそうに声をあげるのが聞こえた。呑気なもんだ、と俺は息を殺すように笑った。
「おい、出久」
「何ー?」
俺が玄関からワンルームの部屋へ入れば、出久はこたつの中でその身を丸くさせていた。こたつを出すには少し早いような気もするが、先週からぐんと気温が下がり冬用コスチュームに変えていた俺も同じようなもんだ。
「お前風呂入った?」
「まだだけど。まさか……!」
「おう、俺行くけど」
「僕も! 僕も行く!」
行く、とはすなわちこれまた徒歩一分の距離にある銭湯のことである。出久のアパートは一応風呂付アパートではあるが、一般的成人男性より少しばかりガタイがいいだろう俺には窮屈だった。俺が出久の家を訪ねるようになって何度目かのある日、いつものコンビニの裏道に続く川沿いの小道を見つけた俺は、その奥にある小さな銭湯を見つけた。出久に聞くと、そこに銭湯があることさえ気づいていなかったと驚いていた。老夫婦が運営する下町に昔からあるその銭湯は、本当に経営としてやっていけてるのか心配になるほどお客が来ない銭湯だったが、一番風呂を待つ常連の為に今日もそののれんを上げるのだと言う。あの日から俺と出久も若輩ながら常連の一人となりつつあった。寂れた銭湯には俺を見ても騒ぐような若者は居ないのも居心地の良さに繋がっている。休憩室で湯上がりの身体を涼ませていても声をかけてくる者はゼロに等しい。同じ湯に浸かりながら二人同時に「はあ~」と魂の抜けたような声を出し「僕らおじさんみたいだね」と横で出久が笑う生活は思いの外心地良かった。
やった!と子どものようにはしゃぐ出久に、近所迷惑だとは言わなかった。集合住宅の壁は薄い。どんなにコソコソ話したって聞こえるのだからもはや咎めるつもりもなかった。俺が自分の家でも無いくせに風呂場から石鹸、シャンプー、体洗いと準備する傍らで出久も靴下を履き準備していた。「湯冷めをしないよう靴下は履いて行け」という俺の教えを今でも守っている出久を見て、俺は緩みそうな口を引き締め頬の傷を誤魔化すように触る。
夜道を歩けば空気がキンと冷えていて、横を歩く出久は「また寒くなったねえ」とマフラーに顔をうずめた。川沿いの道を歩いて行けばすぐに青いのれんが見えてくる。俺たちは競い合うように中に入り、番台に挨拶すると、我先にと素早く衣服を脱ぎ取った。後ろでは番台が「今日は貸し切りだよ」と嬉しい知らせをくれたため、余計に足は速くなった。先に脱ぎ終わったのは出久で、寒さを嫌い厚着していた俺は少々遅れを取ってしまった。数秒の後、俺が大浴場に繋がる引き戸を開けると出久は既に湯船に浸かっていたため、俺も手桶で数回体を洗いその隣に座る。
「はあ……」
「極楽~」
足が伸ばせるっていいよね!と出久はその場で伸びた足を左右に開閉させた。隣に座る俺の足には、出久の健康的に引き締まった足が水中の浮力でゆっくりと当たる。
「足、当たってんだよ。風呂くらいゆっくり入らせろ」
「だってかっちゃん、今日貸し切りだよ、貸し切り! こんなに足伸ばしてもこの広い湯船は全部僕らのモノなんだよ」
「お前、小学生みたいな発想すんなよな」
「とか言ってとか言って、かっちゃんもそう思ってたからさっきあんなに急いで着替えてたくせに~」
「寒かっただけですう~」
「……かっちゃんその口調似合わないよ」
アハハと笑った出久の頭に俺は手刀を落とす。あまり強くやったつもりはなかったが、出久は条件反射のように「あいて」と呟いた。一通りゆっくり浸かった俺たちは次いで体や頭を洗い、寒がりで暑がりでもある俺はまだもう一度浸かってから出るという出久を置いて先にあがった。俺は自販機から馴染みのフルーツ牛乳を買い、着替える前にまず飲み干す。ものの数秒で飲みきった空き瓶は自販機の横のカゴへ入れ、適度に体から熱が取れると来た時の早さはどこへやら、ゆっくり着替えを終えた。最後に靴下を履いたところで出久が大浴場からあがってきた。
「あ、かっちゃんもう着替えちゃったの? 牛乳飲んだ?」
「おう」
「またフルーツ?」
「なんだよ。わりいか」
「じゃあ僕はコーヒー牛乳にしよう」
「別に一緒の飲みたきゃ飲めよ。俺のせいでフルーツ牛乳飲めませんでしたって顔やめろ」
「なんかかぶるのはアレな気がして……」
「アレってなんだよ」
別に同じモノを選んでもいい――と俺が続けるため口を開く前に、出久はバスタオルで身体を拭きながら自販機に向かい喋り続けていた。
「友達とご飯食べに行っても、同じものは避けちゃうとき無い? 僕もそれ食べたかったけど別々の頼んだ方が……的な」
ガコンと受け口に落ちた瓶を拾い、内蓋を開けたコーヒー牛乳片手に全裸で力説する出久に「湯冷めすんなよ」と俺はひらひら手を振り出口へ向かう。来るときと同じように着込んでいた俺にとって、風呂上がりに暖房の効いている脱衣所は暑すぎた。後ろで「あ、ちょっと待ってよ!」と焦る出久の声が聞こえたが、俺はそのまま番台のおばちゃんに挨拶して青いのれんをくぐった。
外に出ると冷気が俺の顔をくすぐる。風呂上りの俺にはそれが心地良かったが、この気温だ。このままじゃ湯冷めするな、と目の前を流れる川を見ながら考える。錆びついたフェンス越しにゆっくり流れる川には、夜空にぽっかりと浮かぶ月が少し歪んだ形で水面にも浮かんでいた。
そのゆるやかな川の流れを見ながら俺は口ずさむ。銭湯から帰る女が、男がなかなか出てこないから冷えてしまったっていうあの有名なフォークソング。既に洗い髪は芯まで冷えてしまっただろう、白い息を吐いて俺は歌詞の続きが思い出せず歌うのをやめた。川沿いの道と川を隔てるフェンスに指を絡ませていた俺の手を、傷だらけの歪な手が覆い絡み取った。
「冷たいね」
「おせえ」と一言俺が零せば、出久は繋いだ手をそのままに歩き出した。帰ったら冷蔵庫の中のビールとスミノフ、安いつまみで乾杯だ。たかが徒歩で一分の距離を繋いだ手は、アパートに着くまで離されることはなかった。
月に磨く