朝焼けだけが見ていた

本編最終回をふまえています。
勝→←デ 前提の轟出
勝モブ♀要素あり(名前は出てきません)
バッドエンドに感じるかもしれません。
轟出の事後描写あり。

 

 

 

 

 

 

 

「轟くん」

 自分を呼ぶ声には寝起き特有の微睡みがあり、まるで牛乳をたっぷり入れた甘いココアのような声だった。窓際に小さなテーブルと一脚の簡易な椅子が置かれたビジネスホテルの一室で、ビルの隙間から覗く朝焼けに照らされた愛らしい白いシーツの小山がもぞりと動くと、俺は微かに笑みを浮かべた。

「轟くん……?」

 シーツからぬるりと這い出た腕は、隣に居たはずの温もりを探して彷徨う。何度かバンバンとマットレスを叩いた衝撃で、顔にかかっていたシーツがめくれてその顔を朝焼けが照らした。

「まぶしっ…」

 朝日に向けて緑谷が咄嗟にかざした傷跡の残る、けれど温かいその手を、俺は椅子から立ち上がって掬い取るとマットレスに縫い止めた。

「おはよう、緑谷」

 寝ぼけ眼に自分の顔が映ると、俺は寝ぐせのついた緑谷の髪をしっとりと撫でた。何度も瞬きをして緑谷は徐々にその瞳に俺を映す面積を多くする。さながら印刷機のクリーニングのように、瞬きの度に俺の顔が緑谷の瞳の中で大きくなった。

「おはよう、轟くん」

 轟くん、と呼んだのだろうが、最後の方は緑谷の欠伸によって掻き消えた。緑谷の目尻に一粒の涙が滲み出ると、俺はたまらなくなってその水滴をこぼすまいと親指で拭った。

「何時、今」
「五時半」
「五時半!?」

 早すぎるというように顔を顰めた緑谷は、俺の手を振り切ってもう一度頭からシーツを被り直した。俺は目の前にこんもりと出来上がった小山に向かって恨みがましく声をかけた。

「昨日、『明日は早いから、轟くんが起こしてよ』って言ったのは誰だったんだ?」

 窓際に背を向けて白い小山は微動だにせず、俺はさらに続けた。

「確かに昨夜は無理させたかもしれねぇが、緑谷がノリノ」

 俺の言葉は最後まで紡がれることなく、綿のたっぷり詰まったビジネスホテルの枕にしては速く顔に到達した。コントロールはバッチリだ。
白い小山もとい、ベッドで丸くなっていた緑谷は顔を赤くさせて俺を睨む。泣き出しそうな緑谷の表情を見て、俺は昨夜の情景を思い出し微かに喉が鳴った。

「ら、らしくないよ、轟くん」

 恥ずかしさからか、上半身に何も着ていない状態に気付いたのか、ベッドから降りていそいそと着替えを始めた緑谷は、背を向けた状態でもわかるくらい耳が赤くなっていた。

「緑谷の寝相が悪くて起きた」
「うっ…それは、ごめん」

 かろうじて二人で泊まれるセミダブルベッドでは、成人男性二人で寝るのはなかなかきつかった。俺は意地悪を言ってその顔をさらに困らせたい、と思ってしまい、ついそんなことを言ってしまった。緑谷のせいで起きたなんて、職業病で浅い眠りを繰り返していた俺が深く眠れるのは緑谷の隣だけだ。

「七時にはチェックアウトしないといけないだろ」
「そうだね」
「空港行って、何時のフライトだ?」
「えっと……」

 上に羽織ったシャツのボタンを留めぬまま、鞄の中を探し始めた緑谷の首筋に、昨夜俺が残した印がチラリと顔を覗かせる。ネクタイを留めると見えなくなってしまうだろうか、と俺は嫌がる緑谷に無理やり付けたあの薄桃色の印に目を細めた。少し薄くなってしまったようだ。

「あった、九時五十分」

 緑谷の手には白い封筒が握られており、航空チケットとレース模様の招待状が入っていた。俺はその必要以上にシンプルな封筒の中身を、出来れば目線で焼いてしまいたいような、一生氷漬けにして留めておきたいような、矛盾した気持ちで見つめた。
 あいつは、どんな気持ちでこの招待状に『緑谷出久さま』という字を書いたのだろう。
 緑谷にパワードスーツを渡し、無事ヒーローとして復帰したのを見届けると爆豪はすぐに結婚を決めた。A組第一号となった結婚が、まさか爆豪とは誰も思いもしなかった。共同出資を持ちかけた爆豪勝己の姿を、緑谷出久への執着を、誰もが信じて疑わなかった。
 俺は、同じだと思っていたんだ爆豪。俺と同じだと。

「良い式になるよう、願ってるよ」

 俺がそう言うと、複雑そうな顔をした緑谷が「轟くんもハワイ行こうよ」と軽口を叩いた。

「親族しか呼ばれてないのに行けるわけないだろ」
「僕も親族じゃないんだけど……式じゃなくて、旅行としてさ」
「緑谷は……」

 教師生活の賜物だろう、スルスルと高校時代と違って慣れた手つきでネクタイを結ぶ緑谷は、急に口籠った俺を不思議そうに見つめた。

「……親族枠だろ。残念だけど、明日も仕事がある」

 俺は「緑谷は特別だろ」と言いそうになったのをグッと堪えた。緑谷は「だよねえ」と呟くと白い封筒を大事そうに鞄の中へ入れた。心なしか寂しそうに小さくなった背中に俺は堪らず抱き着いた。そして、昨日付けた印に重ねて首筋に吸い付くと、緑谷は身じろいで笑った。

「んあっ…ちょっと、くすぐったいって」

 白いシャツの隙間から覗く薄桃色が少し濃くなったのを見て、俺は満足げに口を開いた。

「今度温泉でも行くか?」

 異国の地で待つ緑谷の『幼馴染』が、首筋に浮かぶ印を見たらいったいどんな顔をするだろう、と俺は意地の悪いことを考えながら緑谷に問う。なあ爆豪、緑谷が寂しそうにしてるんだ。「新婦さんのリクエストで、ハワイなんだって」って言って何度も封筒を触るもんだから、シンプルな封筒がしわくちゃなんだ。近くにいるのは自分のはずなのに、俺はどうしても追いつけない距離に二人が居るようで、ショッピングモールでお気に入りのおもちゃを買ってもらえない子どものように体面など気にせず泣き出したくなった。
 そんな俺を知ってか知らずか、緑谷は有名な温泉地をいくつか挙げて楽しそうに着替えを再開した。現地で白に付け替えるという深い緋色のネクタイを緑谷が締めると、俺がつけた印は完全に見えなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 朝焼けだけが見ていた