アーマー渡した後数年後、プロヒ同士の勝デ未満です。
「ねえ、かっちゃん、“おしゃれな味”ってどんなのだと思う?」
いつも唐突なんだ、こいつの言葉は。
振り向くと、スーパーの惣菜売り場で出久が妙に真剣な顔をして立っていた。手にしているのは、どこか洒落たデザインのパッケージで、金額の書かれたポップに雑なレタリングで『今日はおしゃれにキッシュはいかが?』と書いてある。中身は、チーズとバジルが乗ったキッシュのようなものだった。ようなものだった、というのは俺だって本場のキッシュを食べたことがあるわけではなく、スーパーの惣菜担当が見よう見まねで作ったキッシュもどきしか食べたことが無かったからだ。
「“おしゃれな味”ってのは、てめェの好きな味か?」
俺がカゴを右手から左手に持ち替えながらわざと意地悪く聞いてみると、出久は「うーん……」としばらく唸ってから、苦笑いを浮かべた。
「オリーブオイルとか、バルサミコ酢とか、そういうの入っててさ。よくわかんないけどおいしい気がする、みたいな。……そういうの、じゃない?」
「味に“おしゃれ”もクソもあるかよ。あるのはうめぇか、うまくねぇか。それだけだ」
少し乱暴な言い方になったが、嘘はついていない。俺は、“わからないけど美味しい”なんてもんは信用していない。すると出久は、「だよね」と短く笑って、手にしていたキッシュをそっと棚に戻した。
その仕草が妙に丁寧で、そこにほんの少しだけ寂しさがにじんでいたような気がして、俺は言葉を継げなかった。閉店間近のスーパーは、人もまばらで空調が強く、どこか時間の止まったような空間だった。
日勤定時から延びに延びた残業終わりに夕飯を食いそびれた流れでスーパーに来た俺は、同じく勤務終わりの出久と入り口のカート置き場で遭遇した。出久も俺も、これから帰って自炊をするわけでもなくなんとなく同じような足取りで向かう先は惣菜コーナーだった。買い物かごを持った俺の三歩後ろで、出久は次々と惣菜を吟味していく。
「あっ、これ見て。オムライスに“オムライス”って書いてある」
俺たちは別々の買い物カゴを持っている以上、スーパーマーケットのルール的に別々の買い物客のはずだ。だというのにまさしく俺に向かって話しかけてくる昔より遠慮の無くなった幼馴染を、俺は無下にすることが出来なくなっていた。振り返ると出久が指差したのは、子ども向けらしいパック詰めのオムライスだった。ケチャップでまっすぐ横一線、文字通り“オムライス”と書いてある。
「……ガキ向けじゃねぇか。そんなもん買うのかよ」
俺は高校時代にいつも出久が着ていた、胸元に「ネルシャツ」や「シーツ」と書かれた謎のTシャツを思い出し、一人苦笑いした。ネルシャツはまだわかる、百歩譲って「服」ではあるからな。でも「シーツ」ってなんなんだよ。っつーかオムライスに“オムライス”と書くようなヤツ、お前以外にもいたんか。
「かわいいじゃん。なんか、かっちゃんに似てる気がして」
「ハァ!? 似てねェよ」
「うん、でも、ちゃんと名乗ってるところが。正直で、不器用で、そういうところ」
「は?」と言う顔をする俺を気にすることもなく、出久は左手でそれをすくい上げて、自分のかごに入れた。そして閉店間際のほとんど半額以下になった店内において、炭水化物らしきものはいくら探してもオムライスしかなかったのを、俺も知っていた。
「うち来て一緒に食べようよ」
そう言って出久は俺の返事を聞く事もなく、俺の買い物カゴから半額の揚げ出し豆腐と肉じゃがのパックを取り出すと自分のソレに入れ替えていた。本当に図々しくなったし、俺のはラインナップからして和食だっただろうが。オムライスと冷凍ピザの入ったカゴの中に混ぜられた揚げ出し豆腐と肉じゃがは居心地悪そうにしていたが、なぜかしっくりきているような気がした俺は、自分のカゴを通路のストックコーナーに戻して出久の後に続いた。
買い物を終えて外に出ると、暗い空の上の方で大きい旅客機がゆっくりと横切っていくのが見えた。昼間は快晴だったおかげか、雲一つ無い夜空に小さな赤と黄色に光る点が動いていくだけのそれを、出久はビニール袋を掴んだまま掲げた右手で指差して言う。俺たちしか歩いていない住宅街で、ガサガサと耳障りな音と出久の声が重なった。
「幼稚園の頃、みんなで流れ星だって言って手を振ったの覚えてる?」
「……お前は今でも流れ星って言ってそうだな」
「ひどいなあ。でも、今でもちょっとワクワクするのは、たしかにあるかも」
出久も俺も、お互いにゆっくり歩いてる自覚があった。出久の話は相変わらず脈絡が無かったが、俺の無愛想な相槌の何が嬉しいのかその口が止まることはなかったし、俺は俺で初夏の夜は蝉も鳴いていないからか静かに感じて、出久の声が心地良かった。
「……お土産ってさ」
もうすぐ出久のマンションが見えてくる頃、出久がぽつりとこぼした。
「自分で買うとき、何を一番に考える?」
「値段と日持ち」
「即答! かっちゃんっぽいな」
そう言って笑ったあと、ちょっとだけ間をあけて、出久は言った。
「――僕は、かっちゃんのこと考えてるよ」
またその癖が出た、と思った。
唐突で、答えを用意してないくせに先に気持ちだけぶつけてくる。俺がお前にかける言葉を、何度口の中で反芻しているか知らしめてやりたいくらいだった。自分の言葉が他者に、どんな影響を与えるかなんて気にしていない。いや、自分を高く見積もらないからこそ、誰にでも思ったことをポンポン声に出すんだ。「俺」がどう思うか、出久は考えもつかない。
「でも、食べてもらうことじゃなくて、一緒に食べること。……そういうの考えるの」
二人で食べるために選ぶんだ、と言って出久は俺を振り返った。さっきのオムライスも、出久にとっては“自分用”じゃなかったのかもしれない。最初から、ひとつでよかった。俺と、半分こするつもりだったのかもしれない。
*
電子レンジの「チン」という音が、静かな部屋に響いた。
この部屋を最後に訪れたのは出久のプロヒーロー復帰から一年経ち、何度目かのA組同窓会の時だった。同じ方面に帰る数人を愛車に乗せて帰るついで、最後に出久のマンションに寄る直前「そういえば!」と出久は大きな声をあげた。さっきまで後部座席に文字通り埋まりながらいびきをかいていたはずだから、俺はガラにも無く肩を揺らして驚いたもんだ。聞けば実家に立ち寄った際に俺の母親から預かった書類があるとのことだった。玄関先だけの滞在時間数分のそれが最初で最後。
俺は思ったより小綺麗にされた出久の部屋を見渡して「らしくねェ」と思った。いや、出久の部屋なんて実家の小学校に上がる前の部屋しか知らないから「らしい」部屋こそ俺は知らないのかもしれない。結局ハイツアライアンスの出久の部屋だって、俺は訪れたことなど無い。それでも、オールマイト一色の部屋だったに違いないという確信があった。対面式になったキッチンエリアで忙しなく動く出久のモサモサ頭を見る。出久がこのマンションに住むようになったのはプロヒーローに復帰してすぐのはずだが、俺は出久がこの部屋にはあまり帰ってきていないのかもしれないと感じた。レンジの中で少し曇ったパックを取り出しながら、俺に背を向けたまま出久がぽつりとこぼす。
「8点なんだって、僕」
唐突すぎて、話の脈絡がわからない。またかよ、と思った俺はつい素っ気なく返してしまう。
「ンだそれ」
惣菜の入ったままのパックと取り皿、麦茶の入ったコップをトレイに乗せて食卓まで持ってきた出久は笑いながら、ケチャップで「オムライス」と書かれたパックのフタをそっと開けながら続ける。フタは電子レンジの熱で変形していた。
「この間学校で僕の担任クラスの女子生徒たちがさ、放課後集まってたから早く帰るよう促したら、言われたんだ。『ダイナマイトは10点だけど、デク先生は8点かな〜』って。あはは、直球すぎてびっくりしちゃった」
「……なんの点数だよ」
「うーん、男としての総合力? 若い子の考えてることはよくわかんないけど」
まるで褒められたみたいな口ぶりだった。出久は俺の前に麦茶を置くと、自分もコップに口をつけて嬉しそうに笑ってる。俺は自分のコップに注がれた麦茶に視線を落とした。
──こいつは、ほんと、こういうところがある。
自分がどう思われているかなんて、微塵も気にしていないのだ。俺との2点差なんて、あって当然だと思っているのかもしれない。俺は、それがどうしようもなく、腹が立った。
黙ったままの俺に気づいたのか、出久は小さく首をかしげた。
「……かっちゃん?」
答えを求めるでも、慰めてほしいわけでもない。
ただ、俺が黙ってるから気にして声をかけただけ。俺はその距離感が悔しくて、静かに、だけどはっきりと口を開いた。
「……100点満点だわ」
それを聞いた出久の目が、少しだけ丸くなる。
「え?」
「100点満点中、8点。ハイ、雑魚!」
「……なんだよそれ、ひどくない?」
丸くなった目は一回だけ瞬くと、出久は怒ったようなそぶりで目を窄めながら「大体その基準だったら、かっちゃんだって10点だからね!」と言って俺を小突く。怒ったくせに、どこかホッとしたような表情をしていた。
「でも、ダイナマイトは10点って聞いて、かっちゃんあの年代に人気だなあって。僕、そういうの聞くと、やっぱり“あ、かっちゃんってすごいんだなあ”って思うんだよね」
「バカが。そいつの基準で測られても意味ねぇだろ」
「でも、僕は嬉しかったよ。……同じ物差しの中で、かっちゃんと並べられるくらいにはなったんだって思えて」
まただ。
こうやって「自分にとって君が特別なんだよ」とでも聞こえるように、出久は俺を「その他大勢」にしようとするのだ。俺が最後にお前の部屋に来た日を覚えているなんて、微塵も思っていない。俺が殺風景な部屋を見てお前らしくない部屋だ、と寂しく思っていることだって、2点差に悔しがってほしいと思っていることだって、きっと考えつきもしないのだろう。
「……うるせえ。ほら、冷める前に食うぞ」
「うん!」
出久は弾むように返事して、ケチャップの“オムライス”をスプーンで真ん中から割る。中から湯気が立って、卵の下に包まれていたチキンライスがほろりと崩れた。真っ二つには綺麗に割れず、出久は「あちゃー、失敗だ」と言ってスプーンで小さい方を掬い上げながら言った。
「じゃあ、半分こね。僕が8点、かっちゃんが10点」
小さい方を自らの取り皿に移そうとする出久の腕を、俺は咄嗟に掴んでスプーンの先をパックの中へ戻すと、出久は目を丸くしていた。
「これは18点オムライスだ」
俺の言葉を咀嚼しているのか、出久は幼子のように「じゅうはってんおむらいす」と呟くと、部屋の中には静寂が訪れる。エアコンの作動音と、冷蔵庫の低いモーター音だけが、部屋の中でくぐもって響いていた。
「俺が10点で、おまえが8点なら、足して18点だろ。……減点も加点もねぇ。うまく食えば、そんでいい」
書かれていた“オムライス”の文字は、もうとっくに滲んで見えなくなってしまった。老舗の洋食店のオムライスになんて敵わない、スーパーの惣菜コーナーのオムライスはきっと可も無く不可も無い味付けのはずだ。それでも「うめぇか、うまくねぇか」でいえばこれは「うまい」のだ。
「……ふたりで、18点」
出久が、誰にも聞かせたくない内緒話するみたいな声でそう呟いた後「なんか、それ、すごくいいな」と噛み締めるように言った。
嬉しいという感情を隠さず出久が一口オムライスに食いつくのを見て、俺も負けじとスプーンで掬い上げる。一瞬で三分の二が無くなったオムライスを見て出久は「残り2点くらいしかないよ」と軽口を言って笑うから、俺はやかましい、と思い無言でその2点を食ってやった。「あーずるい!」と声をあげる出久が悔しそうで、満足した俺は麦茶を一気に呷り緩んだ口元を隠した。
赤点上等