Before the Dawn

※ご注意※
勝己→デクの片想いで、勝己の主観ですが出モブを匂わせるような表現があります。
時間軸:アーマー渡した後

 

 

 

 

 

 

 その日、レイトショーを観に行くことになったのは、出久の気まぐれだった。
 メッセージアプリを介して「映画に行かない?」と唐突に言われたとき、断っても良かったが気付けば俺はシフト終わりの時間を返信していた。出久が指定してきたのはもう少しで公開終了するだろう、宣伝の割にハネなかったアクション映画だった。既に今週公開された人気アニメにスクリーンを取られたのか、キャパの小さいスクリーンで1日2回、それも朝と晩に追いやられていた。
 深夜のシネコンは駅前といえど閑散としていて、券売機の前で目当ての映画を選択し、俺たち2人が席をどこにしようかと迷っているあいだも後ろに列は出来ていなかった。出久は一番後ろの真ん中2つを選択し「どうかな?」と俺に問いかける。画面を見ていた出久の横から覗き込んでいた俺の唇と出久の癖毛が掠り、俺の鼻には嗅ぎ慣れないシャンプーの匂いが残る。思ったより近くに居たことに驚いた出久は、一歩飛び退いて券売機の角にぶつかった。俺は「ここでいい」と言って券売機に紙幣を投入した。出久が自分の分の金を俺に手渡すため、モタモタ財布を出すのを待たずにフードコーナーへ足を進める。いつもはポップコーンも飲み物も買わない俺だったが、2人セットのポップコーンとドリンクを注文する。後ろから追いついた出久が「僕がこれは払う」と言って鼻息荒く財布を取り出していた。俺は軽く頷いて、支払いする出久の横に店員が差し出したどデカいポップコーンを1つ摘んで味見する。「追いバター」有りにしたおかげか、鼻に抜けるバターの香りが正直くどい。しかし、俺はどうしても先ほど嗅いだあのシャンプーの匂いをかき消したかった。

 

 映画館を出ると夜の風が生ぬるかった。レイトショーが終わったのは午前零時を回ったあたりで、暗い駅前に点々と並ぶ外灯が、出久の髪をぼんやり照らしている。スクリーンの眩しい光を浴び続けてきたせいで、しばらくは現実に戻るのに時間がかかる。

「かっちゃん、どうだった?」

 横で弾む声。出久はパンフレットを握りしめて、早く感想を言いたくて仕方がないらしい。俺は自販機の前で立ち止まり、ボタンを無造作に押した。ガコンと落ちてきた缶コーヒーを取りながら答える。

「……長ぇ」
「えっ、長かった? でもほら、伏線の回収とか、ラストのアクションとか、あれすごかったよね! 僕、思わず手汗かいちゃって……」

 止まらねえ。パンフレット片手に早口で語り始めた出久の肩を、俺は缶コーヒーで軽く小突いた。

「落ち着けオタク。外で論文垂れんな」
「ご、ごめん。でもさ――」

 結局止まらない。俺はため息を吐きつつ、自販機横のベンチに腰掛けた。腕時計を見れば、針は一時に近い。腹は減ってきたし、どうせこいつは語り足りないだろう。俺は腰を上げ、出久の背中を軽く押した。

「ファミレス行くぞ。そこで続き聞いてやる」
「えっ、いいの?」
「……明日オフ」
「僕も明日は学校休み!」

 俺は声色から全力で「嬉しいです」と言っている出久の返事を聞いて、缶コーヒーの苦味もなんのその一気に飲み切ってゴミ箱へ捨てた。

 

 

 近所のファミレスは二十四時間営業。こんな時間でもちらほら客がいる。カップル、仮眠してるサラリーマン、深夜バイト帰りの大学生。店内は不思議な温度で、眠気とざわめきが同居していた。俺たちは窓際の二人席に案内された。出久はドリンクバーを頼み、俺はハンバーグプレートとドリンクバーを注文した。聞けば出久は映画の前に夕飯を「家」で食べてきたらしい。とすれば俺があの時嗅いだシャンプーの匂いは、出久の家のものということになる。俺は出久らしくない甘ったるい香りを思い出し顔を顰め、早々にドリンクバーへ向かう。出久も俺もドリンクバーから戻り、思ったより早くハンバーグプレートが運ばれてくると、出久の映画批評が再開された。

「やっぱり主人公が最後に仲間をかばって倒れるの、あれは最初に出てきた“絵本”のオマージュなんだよね。しかもさ、画面の色使いが序盤と対比になってて……」
「お前、授業じゃねえんだから声のボリューム落とせ」
「あっ……」

 出久は耳まで赤くし、声をひそめる。だが語気は熱を帯びたままだ。お得意のノートでも持ってきて生徒たちへ向けた板書を始めそうな勢いに、俺は思わず笑ってしまった。

「なに?」
「いや……なんでもねえ」

 怪訝な顔をする出久に、俺はフォークとナイフを突き刺してハンバーグを切った。鉄板ではなく皿の上に置かれたハンバーグプレートは、やはり少し冷めていた。

「うそ、なんか笑ってたじゃん」
「……映画一本でそんな真剣に語れんの、世界広しといえどお前くらいだろ」
「え、いま褒めてくれた?」
「勘違いすんな」

 喜色をあらわにする出久は、昔のオドオドとした姿と全く違い、俺はついコーラで喉を鳴らし視線を逸らす。窓の外では街灯の下を、客も乗せずにタクシーがゆっくりと横切っていった。俺はあの時、一丁前に奢られまいとポップコーンを買う出久の財布が、黒いシックなレザーのブランド物だったことを思い出していた。オールマイトモチーフでもないそれを、出久がデニムの尻ポケットから取り出した時、俺は「似合わねえ」と声に出そうとして咄嗟にポップコーンで口を塞いだのだ。

 

 

 ひとしきり語った後、ようやく落ち着いたのか、出久はメニュー表を手に取り「お腹空いたかも」と呟きデザートのページを開いた。

「夜中に甘いもん食うな。太るぞ」
「う……じゃあサラダにしとく」
「夜中にサラダってのも微妙だろ」
「じゃあ、ポテトならいいかな?」
「揚げ物じゃねえか」

 しょうもないやり取りが続いたが、俺たちは結局ポテトを追加注文した。皿が運ばれてくると、出久は嬉々としてケチャップをつけて頬張る。深夜にファミレスでフライドポテト。学生時代に戻ったような感覚に、俺は少し笑った。
 塩気の効いたポテトをつまみながら、俺は口を開く。

「で、結局あの映画は点数つけると何点だ」
「えっ、点数?」
「お前の長ったらしい解説、まとめて数字で出せ」
「うーん……85点かな」
「褒めてた割に結構厳し目じゃねえか。残り15点は何だよ」
「ラストで敵があっさりやられちゃったの、ちょっと物足りなくて」
「そんなんでマイナスかよ。細けえ」

 俺の言葉に出久は苦笑いし「じゃあかっちゃんは?」とポテトを咥えながら問いかけた。

「……俺は90点だな」
「えっ、かっちゃんの方が高いんだ」
「戦闘シーンの迫力は素直にすげえと思った。そんだけ」
「そっか」

 出久はもう一度噛み締めるように「そっか」と呟く。俺の方が高い点数をつけたことに驚きながらも、ファミレスの照明に照らされる出久の横顔は満足そうに綻んでいた。

 気づけば午前三時。客もまばらになり、店内のざわめきはほとんど消えていた。窓の外は闇が深く、始発の電車が動き出すまでまだ時間がある。テーブルの上には空いたグラスと皿。ポテトの皿にはケチャップの跡だけが残っている。出久は背もたれに身を預け、うつらうつらしていた。

「おい、寝んな」
「ん……ごめん」

 眠そうに目をこすりながら笑うその顔に、俺は呆れ半分、安心半分のため息をついた。始発を待たずに歩いて帰った方がいいかもしれない。俺は出久の家と俺の家の中間地であるこの場所で解散しようと、伝票を手に取り財布を開いた。

「帰るぞ」
「うん」

 二人並んで外に出ると、夜明け前の冷気が肌に触れた。空の端がわずかに白み始めている。歩道を並んで歩きながら、俺は口を開いた。

「……次はアクションじゃねえやつにしろ」
「えっ、また誘っていいの?」
「別に一人で観てェ時は断るし、一緒でいい時は観るだけだ」

 俺はそう言うと、出久の返答を待たずに背を向けて歩き出す。この交差点で出久とは別れるはずだ。はたして出久がそれを聞いて嬉しそうに笑ったのか見届けもせず、俺はポケットに手を突っ込み、夜明けの前の湿った風を吸い込んだ。

「――またね!」

 声色だけでわかる。嬉しそうな出久の声を背中に受けた俺は、左手を軽くあげて応えた。あの碌でも無い俺と出久の過去を思えば、今の俺たちは何て恵まれた関係だろう。俺は先ほど吸い込んだ風をゆっくりと吐き出して空を見上げた。『誰か』を特別に据えた出久を直視した時、俺は祝福することができるのか。「傷つくのはお門違いだろ」「てめェそれ本気で言ってんのか」って、俺は心の中で自らにいつも叱責されていた。あの時、眠気のせいにしてでも「お前と観た映画だから5点高くつけたんだ」って、言ってしまったら少しは楽になれただろうか――過ぎった考えを打ち消すように新聞配達員のバイクが横を通り過ぎ、俺は止まっていた足を動かす。夜明けはもうすぐそこまで来ていた。

 

 

 Before the Dawn