yaoyorozu

 高校三年の夏から、緑谷さんは図書室に籠ることが多くなった。高校の先生になるため、大学に行くと言う。緑谷さんの成績ならばどの大学だって合格圏内でしょうと思いましたが、学校のテストではなく「試験」のための勉強が必要なのだそう。参考書を積み上げ、図書室の窓際奥にある一人用の机に向かう緑谷さんは受験を控えた普通科の受験生たちと随分馴染んでいて、それが少しだけ寂しく感じた。私は借りていた本を返しに何度か図書室を訪れ、緑谷さんの姿を見ては心の中でだけ応援していた。
 季節は移り変わり、十二月に入った雄英高校の図書室は寒々しく、利用する生徒もぐんと減っていた。緑谷さんはいつもと同じ席に向かい、時折指先を擦り合わせて暖を取っていた。私はいつもなら返却箱へ本を入れて教室へ戻るけれど、つい窓際の通路を進んで緑谷さんの座る机の前まで来てしまった。

「緑谷さん」
「へっ……やっ!」

 緑谷さんは集中していたところを急に話し掛けられ驚いたのか、肩を大きく揺らし、咄嗟に出た大きな声をその手で塞ぐ。モゴモゴと緑谷さんの手のひらの中で「八百万さん」と私の名前を呼んでくださった声はきちんと私に届いていた。「どうしてここに」という緑谷さんの問いに、私は返そうと思っていた本を小脇から見せる。

「精が出ますわね」
「八百万さんこそ、インターンで忙しいのに」
「私、読書の年間目標冊数があるんです」

 そう言うと緑谷さんは「さすがだね」と言って柔らかく微笑んだ。緑谷さんはいつだって『言葉』をくれる人だ。きっと緑谷さんは誰からもお返しを望んでいないから、そうするのがまるで当たり前だと言うように、自分を顧みない。私だって、いや私たちだって緑谷さんにお返ししたいのにその時にはもう緑谷さんはそこに居ないような気がするのだ。
 この季節になるといつも読み返す本がある。『賢者の贈り物』というアメリカの作家が書いた短編小説で、初めて読んだのは小学校の頃、教会主催のバザーで本を買った時だ。貧しい若い夫婦が相手のためを思い、自分の大切な物と引き換えにクリスマスプレゼントを買う話。夫は妻の美しい髪に似合う鼈甲の櫛を、自らの懐中時計を売ったお金で買う。妻は夫の懐中時計に似合うプラチナの時計鎖を、自らの髪の毛を売って購入するのだ。お互いに準備したプレゼントは無駄になってしまったけれど、相手を思い準備する心こそが一番の贈り物だ――という美しいお話。
 私たちA組は、爆豪さんの『ある計画』を聞かされていた。開口一番に彼は言った「これは俺のエゴだ」と。私はあの時のいやに大人しい爆豪さんを一目見て、この人は足掻こうと決めたのだと思った。たとえそれが徒労に終わろうと、彼の贈り物はきっと色褪せない。 
 私は制服のポケットから袋に入った使い捨てカイロを取り出し、緑谷さんに手渡した。私は緑谷さんの傷だらけの両手が、寒さから強張るのが遠目からでもよく見えていた。

「カイロ……?」
「受験生にとって一番の大敵は風邪ですわ! まだ未使用ですから、使ってください」

 私が「創造で作った物ではなく、既製品なのでご安心を」と言うと、緑谷さんは「メイドイン八百万だって安心するよ」と言って早速パッケージを破いてカイロを揉んでいる。徐々に熱を持つカイロが指先を温めたのか「あったかい」と呟く緑谷さんに、私はあんなに寒々しく感じていた図書室が少し暖かく感じた。

 

 

八百万百は交歓した